現代とポストは、今週はお休み。文春と新潮は相変わらず朝日を叩いている。


 文春は、朝日系列の出版社に、古巣から機密文書を持ち込んだ中途採用社員がいた、という“新スキャンダル”を発掘。先週末、新聞本体でのインタビュー捏造も暴かれて、戦線は月刊誌にも拡大しつつある。朝日はもうサンドバッグ状態である。


 こうなるとさすがに“攻め手”への疑問が湧く。各紙誌には少なからず似た醜聞がある。狂乱の朝日攻撃に「天に唾する思い」は浮かばないものなのか、と。


 文春のコラム『池上彰のそこからですか!?』が、そんな筆者の思いを代弁してくれた。今回の見出しは〈罪なき者、石を投げよ〉。目次ではさらにはっきりと、〈朝日新聞だけが悪いのか〉と問いかけている。今回の騒動の当事者でもある池上氏が、総メディアのリンチ状態を諌めているのである。 


 氏は《ある新聞社の「社内報」》でやはり、会社批判をして上層部の逆鱗に触れ、連載を打ち切られた体験を暴露したうえで、新聞社名は伏せているものの、ナベツネこと渡邉恒雄会長を批判した週刊現代の広告が、読売新聞に掲載拒否されていたエピソードにも言及した。コラムは、掲載誌の文春をも俎上に上げ、「売国」という戦時下の言論弾圧を想起させる言葉で他者を罵倒する神経を批判している。


 朝日問題では先々週、元共同通信のジャーナリスト青木理氏も、集団ヒステリー状態を諌めるコラムを現代に書いているが、こういったときに冷静であり得るか否かで、物書きの値打ちがわかる。 


 例えば慰安婦問題をとっても、ことの本質は左右のイデオロギーではない。考えるべき問題は「結論ありきの記事づくり」である。主義主張を優先するあまり、リアリズムを忘れてしまいがちなメディアの体質である。 


 私自身、新聞記者時代、そのことで悩んだ記憶がある。対立する二者のトラブルを書く場合、往々にして「被害者側」のネガティブな側面には触れない。加害者の悪辣さを免罪し、ニュースバリューを損なう材料にしかならないからだ。「被害者にも問題が多いが、それを割り引いても加害者が悪い」などという回りくどい書き方はたいてい嫌われる。 


 要は、歯切れのいい明快な報道は、疑わしいのである。極悪非道な加害者と純真無垢な被害者。そんなスッキリした組み合わせの問題は、現実にはさほど多くない。にもかかわらず、メディアには日々、スパッと誰かを断罪する記事が溢れている。 


 朝日の慰安婦報道でも、証言者のいかがわしさ、支援団体のおかしさに触れられないままストーリーが誇張されたために、今回の誤報につながってしまった。


 だが同じ目で今、あたりを見渡してほしい。ここぞとばかり朝日を叩く各メディアに、いかにバッサリと歯切れのいい記事が飛び交っていることか。私は、その論旨の明快さの裏側に、いったいどれほどの“不都合な真実”が伏せられているのかと疑う。


 左右双方の媒体とも主義主張のぶつかり合う“戦闘正面”と同様に、自らの路線に合う明快すぎるデータ・証言者をも、警戒すべきなのである。それは容易なことではない。政治的なテーマを取り上げる媒体はたいてい、揺るぎない“コアな支持層”をもつからだ。読みたいことだけ読み、信じたいことだけを信じる。そんな熱烈な固定読者に比べると、情報の真贋を見極めようとする冷静なリアリストは、なかなか優良なマーケットになりにくい。だからこそ、メディアは熱烈な読者を獲得するために極端に走るのである。


 その意味で、今週の文春にはもうひとつ、ささやかな希望を感じさせる短い記事があった。ヘイトスピーチで国際的に批判される「在特会」と山谷えり子国家公安委員長のつながりを暴いた記事である。


 在特会やネトウヨと呼ばれる人々と重なり合う主張もする保守メディアでありながら、きちんと彼らを批判する。商売上のメリットを損なってでも、そこにはちゃんと線を引こうとする。誌面全体には、首を傾げる箇所も含まれているが、その姿勢は立派だと思う。


 戦時中、大本営発表など「右のウソ」にうんざりした日本人は戦後、左に振れ、中国の文革報道など「左のウソ」にも幻滅した挙句、冷戦終了以後、再び右に偏ってきた。


 いったいなぜ、人々は過去に学習せず、リアリズムに落ち着こうとしないのか。今回の朝日騒動にそんな絶望的な思いも抱いていただけに、闇夜を照らす一筋の光明として、池上氏のコラムと、山谷氏への批判記事に少しだけ、救われる思いがした。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』(東海教育研究所刊)など。