今週は各誌年末年始の合併号。とくに週刊文春は、社会派の硬派ネタはあまりないのだが、お得意のゴシップ記事中心に“ズッシリ感”がある。


 トップ記事は『貴乃花全激白10時間 「長男優一に花田を名乗る資格なし」』。記事冒頭で本人が「この一年のうちに、部屋も弟子も、経歴も、何もかも失いました。離婚して、妻とも別々の人生を歩むことに決めた」と語っているように、このところ人生が一気に暗転してしまった貴乃花だが、この記事の“売り”は、靴職人兼タレントの長男の“チャラチャラした生き方”への怒りを赤裸々にぶちまけているところだ。


 何にせよ貴乃花本人に脚光を浴び続けるスター性があるし、その人生が脱輪しそうな非常事態、となれば注目のネタになることはわかる。実際、発売日の各局ワイドショー番組は、軒並みこの話題を追いかけていた。


 ただ、個人的な記事の趣味からすれば正直、「ああそうなの」で終わってしまう話である。チャラい長男やそれをかばう前夫人の印象は確かによくないが、相撲協会と戦っていた当時、少し報じられた貴乃花自身のカルト信者っぽい雰囲気にも私は違和感があった。なので、どちらのサイドにも感情移入が難しく、せっかくのスクープにも、これといった感想は浮かばない。


 むしろ世間的には“業界内の有名人”という範囲の人物だが、『セックス要求、ヌード撮影 7人の女性が#Me Too 世界的人権派ジャーナリスト広河隆一の性暴力を告発する」』のほうが、私にはインパクトがあった。焦点の広河氏は月刊報道写真誌「DAYS JAPAN」の発行者として知られた硬派のフォトジャーナリストだ。御年75の老大家だが、記事では報道カメラマンにあこがれるアルバイトスタッフらにセックス強要やセクハラ行為をしまくっていた行状が、具体的証言とともに報じられている。


 で、こちらも感想は、「ひでえなぁ」の一言だけなのだが、ちょっと面白かったのが、漫画家の小林よしのり氏がブログに「人権派の正体見たり」とする感想コメントを綴っていたことだ。人権派か否かと“セクハラ大魔王”であることは、関係するのか?とふと思った。この告発記事の執筆者・田村栄治氏は記事によれば、広河氏を尊敬し、写真誌の編集を手伝ったりもしてきた元新聞記者。ならば、この田村氏も“人権派”に分類されるタイプではないのか。彼は広河氏の悪い噂を聞きながら放置したことへの反省から、近しい関係だった広河氏の悪行を取材、糾弾記事を書くことにしたのだという。


 つまり、このケースでは“人権派”が“人権派”の悪行を暴いたことになり、小林氏のコメントは強引な決めつけになる。“人権派の正体”は破廉恥漢とは限らないのだ。


 考えてみれば、安倍首相のお友達ジャーナリスト・山口敬之氏の“詩織さん準強姦疑惑”を暴いたのは、右派雑誌の週刊新潮だった。あのケースでは右の媒体が右の人物の醜聞を暴いたのだ。要は、政治的な主義主張にかかわらず、人としてクズのような“輩”はどこにでもいるし、それと対決する“真っ当な人”もこれまた主義主張と無関係にいるのである。バカみたいに当たり前の話だが、イデオロギー的な敵愾心に火が付くと、そんなことにさえ気づかぬほど目が曇る。人のふり見て……ということで、くれぐれも自戒したい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。