精神疾患は、がんと並んで製薬会社が新薬開発に特に力を入れる領域である。決定的な治療法が生まれにくいことが大きな原因のひとつだろう。


 それでも新しい治療薬や進歩する治療法などで、以前に比べて精神医療の世界はずいぶんマシになった――。そんな印象を打ち砕かれたのは、『なぜ、日本の精神医療は暴走するのか』を読んだからである。


 向精神薬などで薬漬けにされた患者、身体拘束によりエコノーミクラス症候群になり54歳の若さで亡くなった人、髪の毛を前半分だけ切られた高校生、患者を殴る医師(旧態依然のスポーツ界でも似たような事件があった)……、本書はさまざまな事案から、現代の精神医療の問題点を指摘する。


〈初日から10日間は身体拘束をされ、頭に電流を流して人為的にてんかん発作を発生させる電気けいれん療法(電気ショック)を3度も受けさせられた〉という主婦のケースは、本書を読むかぎりでは、必要性が感じられない(そもそも、拷問のような電気ショックが治療に用いられている事実にも驚いた)。


 丹念な取材をもとに記された個々の事例から、単なるニュースとしてとらえていた事件の裏側や精神医療が内在するリスクが見えてくる。


 昔ほどではなくなったとはいえ、医師の言葉を無条件に受け入れてしまう人や家族は多い。しかし、医師の中には、患者を処方薬依存にすることで通院を続けさせ、自院の経営の安定を図る人物も存在したようだ〉〈初めから身体拘束ありきで対応する精神科病院は多い〉のが実態だ。


■コミュニケーションの行き違いから措置入院


 極端な事例ばかりを集めた可能性も疑ったが、〈1999年には、精神疾患の患者数は約200万人だったのに、わずか15年でほぼ倍増(2014年時点で392万人)〉〈身体拘束10年で2倍 1日1万人〉という現実が確かに進行している。


 介護の世界でも身体拘束を行う施設は今もあるが、職員からは「本来やってはならないことをしている」という、うしろめたさは感じられる。一方、〈精神医療の現場では、精神保健指定医の資格を持つ精神科医が「やむを得ない」と判断すれば身体拘束を行える〉という例外が例外でなくなっているのだろう。


 怖いのは、誰もが悲惨なケースに巻き込まれてしまう危険性である。


 ちょっとした心の不調で精神科を受診する、少しばかり施設のお世話になった、といった誰でも起こり得るシチュエーションから、日常生活すら覚束ない体にされてしまうのだ。本書で紹介される、“コミュニケーションの行き違い”から措置入院になり、身体拘束された女性の事例は、ほとんどホラー映画の世界である。


〈精神科が扱う病気は確かに原因不明なものばかりだ。なぜなら、原因がわかった病気は他の診療科が扱うようになるから〉。だからこそ、治療を標準化しにくいし、医師の裁量が働く部分も大きい。インチキな医師や儲け主義の病院にあたってしまったときの負の影響は計りしれない。


 暴走する精神医療を正常化する“特効薬”は存在しない。患者やその家族らと医師や看護師、セラピストなど医療関係者が対等な立場でくり返しミーティングを行う「オープンダイアローグ」の効果には注目が集まっているが、医師を頂点とする医療界のヒエラルキーの存在など課題は多い。


 おそらく本書に記された事例は氷山の一角だろう。病院や製薬会社といった精神医療の提供者の意識改革はもちろんだが、患者サイドもしかり。まずは〈ちょっと変わった人〉を〈目に触れないところに閉じ込める〉という発想を変えること。「明日は我が身」なのだから。 (鎌)


<書籍データ>

なぜ、日本の精神医療は暴走するのか

佐藤光展著(講談社1500円+税)