いつもは読み飛ばしてしまうページだが、今週はサンデー毎日『世界透視術』というコラムに目が留まった。執筆者は、毎日新聞客員編集委員の金子秀敏氏。「ベネズエラの米中関係」という題で、南米の産油国・ベネズエラの政変を取り上げている。


 新聞やテレビでも多少は報道されているが、金子氏は《今年最初の重大国際ニュース》として、この問題に注目する。反米左翼の独裁的指導者・マドゥロ大統領の退任を要求し、野党のグアイド国会議長が暫定大統領に就任することを宣言、米国や親米諸国が早速この“新大統領”を承認した。しかし、マドゥロ政権と親密な中国やロシアは、米国の策動による政変だと主張して激しく反発しているのだ。金子氏によれば、中国にとってこの国は《南米大陸に築いた橋頭保》で、今回のケースはカナダでの「華為技術」副会長逮捕に続く米国の敵対的行為と映っているという。


 歴史を振り返れば、ラテンアメリカは米ソによるさまざまな代理戦争の舞台になってきた土地だが、もし今回の事態が深刻化すれば、米中の「新冷戦」という言葉が、比喩的な表現に留まらなくなってしまう。10余年前、南米をフィールドに取材活動をしていた私からすれば、相当に“気になる事態”が起こりつつある。


 当時はベネズエラのチャベス政権に続いて、ボリビアやエクアドルなど各国に次々と左派政権が生まれ、「南米の左傾化」が指摘されていた。そうした国々への中国の接近も、そのころから始まった。それにしても、21世紀にもなって、南米ではなぜ“左傾化”が見られたのか。


 実はあの大陸での右派左派という色分けは日本人が思い描く図式とはだいぶ違う。もちろん一部には資源や企業の国有化など、社会主義的な政策も見られたが、大衆の支持を集めるのはよりシンプルなスラムへのバラマキ、要はポピュリズムだ。右派と見なされたかつてのペルー・フジモリ政権も、こうした“スラム人気”に支えられていた。


 南米の人々の間でも、冷戦期の数々の失政から、共産主義そのものへの希望は失われて久しい。それでも、国民の圧倒的多数を貧困層が占める国々では、左派的なポピュリズムがどうしても求められるのだ。その背後には、富を独占する白人富裕層への大衆の怨念がある。植民地時代から続く貧富の分断が、グローバル化の時代により深刻化しているのだ。


 私がペルーに居住した最末期、この手の左派ポピュリスト政治家の人気をスラム街で探ったことがある。支持者らの支持理由は衝撃的だった。自分たちの暮らしはどうせよくならない。ならば、少しでも富裕層を痛めつけてくれる政権がいい、というのである。


 英国のサッチャー元首相の言葉に「豊かな人を貧しくしたからといって、貧しい人が豊かになるわけではない」というものがある。その昔、竹中平蔵氏が討論番組などでよく引用していた。だがこのスラム住民らは、「だとしても、豊かな連中には没落してほしい」のである。まさに黒々とした負の情念だが、格差と分断に追い詰められたとき、人は時にそこまでの怨嗟を抱くのだ。  対立と分断を煽るポピュリズム、という部分を切り取れば、皮肉にも米国のトランプ支持層にも似た空気を感じる。自由主義陣営と共産主義陣営が(幻影でしかなかったにせよ)とりあえずは“よりよい明日”をめぐって対立する構図だったかつての冷戦期と比べると、新冷戦時代の底流には“希望なき敵意”だけが突出する救いのなさを感じる。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。