千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛さん(10)が自宅で死亡した事件で児童虐待が連日大報道されている。この事件で大いに問題とされているのが児童相談所(児相)の対応だ。
報道されている通り、児相への相談は増え続けているのに相談員は減らされてきている、警察や弁護士、市役所などとの連携ができていない、といったことも事実だろう。その一方、児相が“お役所仕事”になっていないだろうか。
担当した児相の職員は逮捕された父親から心愛さんを「自宅に戻さなければ個人として訴える」と脅されて、心愛さんを自宅に帰してしまった、ということが象徴的だ。
公務員は行政上の責任は問われないことになっている。個人的な事件や不祥事ならともかく、仕事上の行為で個人が訴えられるということはない。裁判所も受け付けないだろう。
だが、児相の職員も人間だ。サラリーマンでもそうだが、「個人を訴える」などと言われると、どうしてもひるむ。新聞記者だって同じだ。児相の職員も「訴えるなら訴えろ」と言えばいいのだが、職員にとってはなかなか言えない。サラリーマンでも「社長を出せ」とか「上司に訴えるぞ」、「問題にするぞ」と言われれば、経歴に傷が付き、出世にも差し障るのではないかと受け取る。
「訴えるぞ」と騒ぐ人ほど度胸がない人間なのだが、脅しはそういう意識を利用する。暴力団や極右ではよくこの手を使う。週刊誌では「訴えたければ訴えろ」と反発するが、それは慣れていることに加え、編集部として対応するという方針があるからだ。
つまり、児相が相談所としてどう対応するのかを決めていないことが最大の問題なのだが、児相がお役所仕事になっているから、こうした脅しが効果的なのだ。しかも、実の父親からの脅しだから、余計、脅し効果を与えただろう。せめて「所内で検討します」くらいのことを言って断ってほしかった。
ところで、この児童虐待事件で、早速と言うべきか、国連こどもの権利委員会が「日本では家庭で“しつけ”と称して体罰が許容されている。全面的な体罰禁止を法制化する」よう勧告した。この勧告を有り難がって報道するメディアもある。が、国連だ、外国からの指摘だ、と有り難がるのはもうやめたほうがいい。
それにしても世の中はずいぶん変わったものだ。落語にもたびたび登場するが、古来、子は宝、子は三界の鎹、と言われてきた。鳥でも虫でも親は卵を、子を守ろうと必死だ。日本人も同様で、子供を守るために母親が身を投げ出すという話はいくつもある。むしろ、子供を可愛がり過ぎるくらいだ。
その極め付きが振り込め詐欺の被害である。振り込め詐欺は欧米にはほとんどない。日本だけに顕著な特異な事件だ。欧米では子供は18歳になると、家を出て行くように言われる。親離れというか、子供の独立を促す。といって疎遠になるわけではない。毎週金曜日の夕方に子どもたちは両親の家に来て家族団欒を楽しんでいる。
日本の家庭だけは子供を中心に回っていた。子供を可愛がりすぎで、児童虐待など一握りの特例。通常は考えられない事件だったのである。だからこそ、児童虐待を厳しく律する法律など必要なかった。一方、欧米では児童虐待がたびたび起こる。ドイツでもアメリカでも児童虐待の数は日本の3倍以上もある。児童虐待が頻繁に起こるからこそ児童虐待に対する法律が必要だった。
ところが、近年は親が平気で我が子を虐待する事例が頻発している。野田市で起こった児童虐待はその典型かもしれない。国連こどもの権利委員会の勧告を有り難がるのではなく、考えるべきなのは「子は宝」だった日本の社会が子への虐待を禁止する法律を必要とする欧米並みの社会に変わってしまったということではなかろうか。(常)