先頃、大津地裁で7年半前の中学2年生の自殺事件がいじめによるものどうかを争った民事訴訟の判決が出た。この「大津いじめ事件」は、「いじめ防止対策推進法」が制定された契機になったことでご記憶の人も多いはずだが、事件は大津市立中学の2年生の男子生徒が自宅マンションから飛び降り自殺したというものだ。
当初、教育委員会が「自殺といじめとの関連性はない」としたが、大津市が第三者委員会を設置。委員会は学校が全校生徒を対象に実施したアンケートなどの証拠を示し、「いじめが自殺の直接的要因」という結論を提出した。滋賀県警も捜査に乗り出し同級生3人を暴行、器物損壊容疑で書類送検し、大津家裁は2人を保護観察処分、1人を不起訴処分にした。
この事件後、自殺した中学生の両親が市と同級生3人を相手取って損害賠償請求訴訟を提起。市側はいじめを認め、和解。残る同級生3人に対する民事訴訟が続き、今回の判決に至ったという経緯である。
大津地裁の判決は、同級生2人のいじめが自殺の原因と認定し、2人に約3750万円の賠償を命じた。新聞・テレビは「画期的判断」と概ね好意的だった。
そもそもイジメの裁判では、イジメが自殺の原因と言えるのかどうかの前に、そもそもいじめがあったのかどうか、を原告側が証明することが難しい。今回の事件では第三者委員会がアンケート調査などからイジメが自殺の直接原因と認定したこと、民事訴訟で大津市側が自殺の原因と認めて和解に応じたことが、原告有利に働いたことが挙げられる。それでも判決がイジメを自殺の原因と認めたことは画期的判決と言っていい。
この手の訴訟では被告側、つまり、いじめた側の弁護士は必ず「悪ふざけに過ぎない」「遊びだった」などと主張する。裁判官もいじめの度が過ぎたくらいにしか考えない例が多い。 だが、「悪ふざけ」や「遊び」だったからこそ、いじめ問題は深刻なのである。いじめた側は学校を卒業すると、いじめたことをすっかり忘れてしまう。
しかし、イジメられた側はそうはいかない。一生涯、忘れることはない。心の底では「いつか仕返ししてやる」「殺してやりたい」「駅のホームで後ろからとき飛ばしてやりたい」と思い続ける。復讐を実行しないのは、もし実行したら逮捕される、親を困らせる、家族を悲しませる、などと思うから堪えているだけである。
ある精神科医との雑談の席で「長年、患者と話をしていると、40歳を過ぎても子供のときにいじめられた経験を語り、忘れることはないのだが、いじめた側はどう思っているんでしょうね」と聞かれ、「いじめた側は遊びのつもりだからとっくに忘れていますよ」と答えた記憶がある。実際、30歳、40歳になっても、いや60歳、70歳になっても子供の時にいじめられたことは覚えている。
実は、いじめた側はいじめた相手からいつ復讐されるかわからないのだ。ある日、突然、訳もわからずに殺されるかもしれないのである。殺されないのは、復讐されないのは、いじめられた側がじっと堪えているからにすぎない。
この心理はレイプと似ている。レイプされた女性は一生涯、心の傷が消えることはない。癒すことができない傷を受ける。人生を変えてしまう心の傷である。イジメと同じだ。
弁護士も裁判官も検事でさえ、いじめられた子供の心の傷はわからない。弁護士も裁判官も検事も小中学生時代は優秀な成績の子が多い。「くだらない遊び」や「悪ふざけ」には加わらないし関わらない。
一方、いじめられる子供はどちらかと言えば、いじめっ子とも仲がよかった場合がある。仲がいい間に優劣がついたり、相手の弱い部分を見つけていじめが起こることが多い。
だが、子供時代から成績優秀で悪ふざけに加わらないエリート育ちには、いじめられる子供の心理がわからない。遺族が起こした裁判が難しいのは、こうしたことが背景にあるのだ。 だからこそ、いじめは深刻な問題だということが理解できず、弁護士は「悪ふざけに過ぎない」と主張し、検事はそれほど大した問題だとは感じない。裁判官は「過去の判例」に従って求刑の6掛けか7掛けの判決を出す。家裁に至ってはいつものことだが、「更生」を旗印に寛大な処分で済ましている。こうした発想が訴訟を難しくしている。
今回の大津地裁の判決は原告の損害賠償額請求額に対してほぼ満額に近い賠償を命じた点も評価できる。いじめはレイプと同様に心に傷を負わせる犯罪だという認識が必要だ。その認識があれば、いじめっ子の保護者も事の重大さを理解できるはずだ。それだけいじめ問題は深刻なのである。(常)