凶悪犯罪を掘り下げて報じるのは、事件の背景や犯人像を正確に知ることで、社会の歪みが浮き彫りになるからだ──。筆者が80年代の半ばに新聞記者になったころ、事件報道の意味合いを、そんなふうに教わった覚えがある。 


 自分たちは決して、興味本位、面白半分で記事を書くわけではない。遺族との接触など、心苦しい場面も少なくない事件記者たちが、自分を納得させるために呟いてきた台詞なのかもしれないが、それでも当時は「事件から社会が見える」という教えは、まんざら誇張した話ではなかった。殺人の大半は、カネ目当てか怨恨が動機だったからだ。 


 だが、世がバブルへと向かい、貧困という犯罪の温床が見えにくくなるにつれ、“規格はずれ”の異様な事件が目立つようになった。その代表例が、宮崎勤の事件であり、酒鬼薔薇聖斗の事件だった。金銭欲や怨恨を動機としない殺人。広い意味で言えば、オウム真理教事件もそうだったかもしれない。 


 常人には理解しがたい理由で、人の命を奪い取る。新聞の社会面に「心の闇」という言葉が飛び交うようになったのは、その手の事件が急増してからだ。いくら周辺情報を集めても、納得できる動機は浮かび上がらない。精神医学の力でも借りなければ、到底理解できない話が増えていったのだ。 


 ある意味で、そういう現象そのものが、時代の空気を表していた、とも言えるのだが、その手の犯罪報道を私は苦手とした。病的としか思えない犯罪者の心理を、知りたいと思うことはなかった。 


 今週の各誌は、そんな「心の闇」のケースを代表する「神戸連続児童殺傷事件」を引き起こした犯人、酒鬼薔薇聖斗=少年Aの自叙伝の話題を一斉に取り上げている。太田出版が刊行し、論議を呼んでいる『絶歌』の話である。 


 当時14歳だった犯人のAから、長年にわたり手紙を受け取って、不充分ながらも「反省する心」を感じ始めていた被害者遺族にとって、寝耳に水の書籍刊行は、大ショックだった。せっかく溶解し始めていたAへの嫌悪感・不信感はこのことでまた、極限へとふれ、遺族とAとの関係は振り出しに戻った。 


 週刊現代は『まさかの独り暮らし あの酒鬼薔薇聖斗はここで生きている』、週刊新潮も『気を付けろ!「少年A」が歩いている!』と似たようなタイトルをつけ、いずれも被害者遺族サイドに立ち、Aの行動を訝り、嫌悪するトーンで記事をまとめている。 


 スクープを放ったのは文春。『少年A「手記」出版 禁断の全真相』と銘打って、幻冬舎の見城徹社長による衝撃の告白を綴っている。そもそもAの手記刊行に着手したのは幻冬舎で、途中まで進めた企画を突如断念して太田出版に譲り渡した、というのである。 


 本の執筆に異様に固執したAは、幻冬舎に自らアプローチして作業を進めたが、見城社長によれば、反省の表現が不十分だったり、出版への被害者遺族の了承を得ていなかったりと、クリアすべき課題が残っている段階でAが刊行を急いだため、太田出版にバトンタッチすることになったのだという。 


 一方でまた、幻冬舎は昨秋来、やしきたかじん氏の遺産相続にからんだ百田尚樹氏の著書『殉愛』で袋叩きになった体験から、再びバッシングを受けそうな今回の出版も不安になり、二の足を踏んだのではないか、というネット情報も流れている。真偽はわからない。 


 異様なまでに強烈なAの表現欲求にももちろん違和感を強く覚えるが、もうひとつ、その周囲で利益とリスクとを天秤にかけ、怪しげにうごめく出版業界の動向にも、別の意味の奇怪な「闇」を感じてしまうのである。 


------------------------------------------------------------
三山喬(みやまたかし)  1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。