週刊文春がまたしても、政治家の疑惑報道でお手柄だ。先週の菅原一秀経産相に続いて、今週は法務大臣の河井克行氏を辞任に追い込んだ。記事タイトルは『法務大臣河井克行夫婦のウグイス嬢「違法買収」』。7月の参議院議員選・広島選挙区で当選した妻・案里氏の選挙運動で、ウグイス嬢への報酬支払領収書を2種類に分け、公選法で定められた上限の倍額を支払っていたことを暴いたのだ。直接の当事者は案里氏だが、運動を実質的に取り仕切ったのは、克行氏だったという。


 文春編集部は同一筆跡の2種類の領収書の現物や裏帳簿を入手したうえに、ウグイス嬢たちの裏付け証言も得て、経理担当者に倍額支払いを認めさせた。見事な調査報道だ。文春今週号はまた、辞任した菅原・前経産相の件に関しても、『菅原一秀が秘書に「15万円取り立て状」を送っていた』という更なる続報を載せ、前大臣が秘書たちに選挙区回りに伴う支出の建て替えや、遅刻などへの罰金支払いを強制し、さまざまな“上納システム”をつくっていた実態を報道した。「彼は政治家でなく、選挙運動家」という元秘書の談話も載せ、氏に問われるのは《大臣失格だけにとどまらない》と追い打ちをかけている。


 さすがは「文春砲」と、まずはその頑張りを称えたい。だが同時に、文春以外のメディアへの腹立たしさも湧く。他の週刊誌が太刀打ちできないのは、これはもう仕方がない。痛々しいほど弱体化した各編集部の実情を知るだけに、そこにはもう期待はない。問題は新聞とテレビである。とくに全国紙は文春編集部の何倍、何十倍もの記者を抱えるのに、文春一誌にやられ放題だ。


 ワイドショーに登場する通信社出身の“政治評論家”も腹立たしい。内閣改造の直後に「3~4人、危ない人がいる」と仄めかし、文春報道で2大臣が辞めたあと、「私は彼らのことを言っていた」と得意げに語っていた。正直な話、私は新聞社にいた頃から、「政治部記者」という人種にいかがわしさを禁じ得なかった。今回の“政治評論家”に対する思いも同じである。要はただ一点、「知っていたなら自分で書け。ジャーナリストだろ?」と言いたくなるのである。


 今週は、文春の匿名筆者持ち回りのコラム「新聞不信」欄が、そういった悶々とした思いを代弁してくれた。《最近、この種の報道を読むたびに感じるのは、なぜ新聞が先陣を切らないのかということである。言い換えれば「政治スキャンダルは週刊文春の専売特許なのか」と思う》《今回の(菅原経産相)辞任劇で、各紙はいつにも増して怠慢ぶりを露呈している。文春はまず「メロンリスト」を一報した。後追いをしたのは毎日だけで、他は見当たらない》《新聞が騒ぎ出したのは「菅原さんは経産相を辞めざるを得ないな」などという声が永田町界隈で上がってきてからだろう。見出しを見ればわかる》


 この感情をどう説明したらいいのだろう。文春のスクープが出るたびに、メディアの惨状への“痛覚”を思い起こす。文春には頑張ってほしいのに、頑張られると悲しくなってしまうのだ。もちろん文春の責任ではないのだが、週刊誌の疑惑報道はどうしても“小粒”になりがちで、そのことにも寂しい気持ちが湧く。公選法違反とか、政治資金規正法違反とか、秘書へのパワハラとか……せいぜいその程度だ。振り返ればこの国にも、「巨悪を眠らせない」と言っていた検事総長がいた時代があったのだが、それももう今は昔。最後の砦は、新聞社しかないのだが、そんな思いももう、かなわぬ夢になっているのだろうか。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。