先月都内で開かれた医工連携セミナー『イノベーション先進国から学ぶ-インド流ひろしまバイオデザイン』に参加した。


「バイオデザイン」は、スタンフォード大学が2001年に開始した学際的な人材育成プログラム。米国では近年、革新(innovation)や起(企)業家精神(entrepreneurship、新しい事業や企業を創造するために要求される態度や発想、能力の総称)に高い関心が集まり、多くの大学が「起業家精神のトレーニング」を掲げたプログラムを立ち上げた。この流れは工学分野から始まったが、生命科学分野に初めて取り入れたのがスタンフォードだ。


 デザイン思考を医療機器イノベーションに応用する手法を学ばせビジネスにつなげる「バイオデザイン」は米国内で成功を収め、2007年から海外展開を始めた。その第一号が、インド政府のバイオテクノロジー部門とタッグを組んだ「STANFORD-INDIA BIODESIGN」。このプログラムから2012年に最初のスタートアップ企業が生まれ、2013年には製品を上市。さらに2015年には独自のフェローコース「School of International Biodesign (SiB) 」を創設された〈図1〉


 SiBは、全インド医科大学(AIIMS: All India Institute of Medical Science)および、グーグルやソフトバンクの経営層を輩出したインド工科大学(IIT: Indian Institutes of Technology)ニューデリー校や、首相の肝いりでつくられたインド・バイオテック・コンソーシアム(BCIL: Biotech Consortium Limited)とも連携。インド国内でニーズと解決策を見つけ、「世界に売る」というビジョンを持つ。


 2015年には、大阪大学、東京大学、東北大学もスタンフォードとパートナーシップ協定を結び「JAPAN BIODESIGN」を開始した。一方、広島大学は2016年にSiBと大学間協定を結んで2017~18年にフェローを計3名派遣。2019年にフェローコース「ひろしまバイオデザイン(HUB: Hiroshima University BIODEDIGN)」を立ち上げた。



◆徹底的な現場主義、系統的なプロセスが革新を生む


 セミナーでは「広島大学トランスレーショナルリサーチセンター(TRC)バイオデザイン部門」から、2名の演者が登壇した。二人ともフラットな人間関係の中で「バイオデザイン」を経験しており、開口一番、「私を “先生”と呼ばないで」と参加者に話しかけた。


 2018年2~12月に、デリーのAIIMおよびSiBにフェローとして滞在した松浦康之さんは、広島大学大学院工学研究科で情報工学を専攻した後、大手電機メーカーで働いていたソフトウェアエンジニア。最初の講演で「バイオデザイン」のプロセスを具体的に語った〈図2〉



 同期7名の国籍はインド5に対し日本とオーストラリア各1、男女比は5対2。他の6名の専門はプロダクトデザイナー6、医科学者1。現場観察は全員で行ったが、その後のプロセスでは3名と4名の2チームに分かれ、フェーズごとの判断はフェロー自身が行った。医療機器開発を目指すにあたっては、多様な背景を持つ「(医療の)素人の視点」が役立った。


「DISCOVER」のフェーズでは約1か月、デリーから車で1時間ほどかかる近郊の地域医療センターや公立病院に毎日通い、現場観察を行った。その際、死亡率や有病率、補助金を得られる可能性、市場規模、投資に必要な額や投資動向、競合する企業や製品を考慮したうえで、観察分野を選択。「整形外科」「形成外科」「救急外傷」に絞ってニーズを抽出することにした。


 次に「DEFINE」のフェーズでは、「ニーズステートメント」によって「その課題(What?)は、誰(Who?)にとって問題で、どういう帰結をもたらすべきか(Outcome)」を明確にし、解決策を考える。ニーズを最初の87から31にまで絞った段階では、インドだけでなく、日本の医療関係者にも、一時帰国してインタビューを行い検証した。


 残ったニーズは、①皮弁移植後の血流監視、②末梢静脈ライン挿入の簡易化、③褥瘡の予防、④カテーテル関連尿路感染の予防。この4つに対して計68のコンセプトを「DESIGN」し、各コンセプトについて「技術的に可能か」「工業生産できるか」「競合企業/製品はあるか」「開発製品の位置づけはどうか」という視点で取捨選択。最終的に、①と④についてプロトタイプを開発し、特許仮出願にまでこぎつけたという。


◆Frugalな医療機器でより多くの患者を救え

 

 2番目の演者は2017年フェローで、TRCバイオデザイン部門長/准教授でもある木阪智彦さん。木阪さんは、広島大学医学部卒業後、大学院で循環器内科学を専攻した医師/医学博士だが、インドでの経験を経て、「知っている/知識を持っていること(Having)」や「何らかの地位を得ること(Being)」より「考え行動する/誰かのために何かをすること(Doing)」が重要であり、「知性とは知識でなく知恵だ」と実感したという。


「BIODESIGN」の「DESIGN」は「共創」「連想」「外化」など「外に向かって記号化すること」を意味する。革新をもたらすには、「Steve Jobsのような孤高の天才が一人いるより、「BIODESIGN」のように専門性が高く多様性を持つチームの方が力を発揮しやすい」(木阪さん)


 2016年のSiBとの協定は、突然のできごとではない。広島県は2011年に概ね10年先を見据え、県の産業の方向性を示す基本方針「ひろしま産業新成長ビジョン」を策定。ものづくりで培った高い技術の集積を活かして「ひろしま医療関連産業クラスター」の形成を目指し、産学官連携を進めてきた。


 広島県には、県内の医療機器生産額を2010年の90億円(企業数30社)から2020年には1,000億円(内訳は県内企業のビジネス拡大と国内外企業の誘致が各500億円)にするという壮大な目標がある。「ひろしまバイオデザイン(HUB)」も、「国際競争力を飛躍的に高める普遍的医療機器開発を目指した拠点整備事業」の一環だ。


 HUBは「Frugal Innovation」つまり「現場の切実なニーズに応え、高い質を持つ低廉な技術や製品を開発して、より多くの人に届くよう提供し、その分野に革新をもたらすこと」を目標に掲げる。辞書で「frugal」を調べると一般的には「つましい」「質素な」「貧弱な」などの訳語が並ぶが、「バイオデザイン」の文脈では意味が異なるのだ。


◆インドの課題解決策は日本に応用可能

 

 木阪さん曰く「インドは日本から遠いようで近い」。現在、人口約13億人のインドで虚血性心疾患620万人、糖尿病460万人、肥満340万人、がん300万人。だからこそコスト意識が高く、医療現場では必要十分な機能を追求している。インドで収集したニーズを日本の技術で解決できれば、将来的にわが国にも必ず役立つと確信しているという。


 最後の演者として登場したのは、Avijit Bansal医師。「STANFORD-INDIA BIODESIGN」の2011~12年フェローで、現在はSiBのディレクターでもある。Bansalさんは、2015年に創設されたSiBがこれまでに達成した成果として、医療機器36、特許50、スタートアップ企業12、上市製品4、米国FDAの承認を得た製品1、開催した医工サミット12、国際連携2(日豪)という数字を挙げ、実際の製品を誇らしげにプレゼンした。しかし、それ以上に大きな意味を持つのは110人以上のイノベーターを育成したこと。「ひとつのイノベーション(革新的製品)があってもその価値は長く続かないが、イノベーターを育てれば将来がある」。


 また、「Frugal Innovationは決してcheap(安価で安易)な解決策ではない」とも強調した。Bansalさん自身、現場での心肺蘇生法に危うさを感じ、足を使って操作することで術者が両手を使って新生児の蘇生ができ、電源なしで酸素レベルもモニターできる「NeoBreathe」を開発した。地方のひとり医師の医療施設でも蘇生が容易にできる医療機器で、2016年の上市後、インド15州およびアフリカ1国で使われ、国の表彰も受けたという。


「革新的な医療機器」と聞くと最先端技術を使った高価な装置を思い浮かべがちだが、このセミナーに参加して、「医療現場のニーズを徹底的に探り、リーズナブルな価格で多くの患者を救える医療機器を数多くつくる」のも、重要な方向性であると感じた。


講演を終えたBansalさん。インド人フェローもセミナーに参加した 


【2020年度ひろしまバイオデザイン フェローシップ参加者募集】

記事で紹介したHUBは2019年10月1日(火)~12月27日(金)に来年度のフェロー(定員4名)の募集を受け付けている。コースでは、医療従事者、デザイナー、エンジニア、経営企画・管理、ファイナンスなど異なる専門分野を持つ多様性のあるチームを編成し活動する予定という。詳細は下記参照。

https://www.hiroshima-u.ac.jp/trc/news/53748


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本島玲子(もとじまれいこ)

「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。

医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。