今、医療業界を取り巻くデジタルヘルス産業が盛んだ。国がソサイエティ5.0など打ち出し、健康寿命延伸のためのスーパーシティをつくると言っている。しかしそこに、本人を取り巻く家族の姿は見えてこない。患者本人に対する「計測」関連のデバイス、「受診干渉」「症状予測」といったアプリケーション、見守りの仕組みはさまざまある。しかし、介護する家族をサポートするソリューションにはほぼ出会わない。


 今、働きながら介護する家族は国内に346万人、年間に介護のために離職する人は約10万人(総務省就業構造基本調査)。離職者には40代など働き盛りの男性もいる。高齢出産のために育児しながら介護している「ダブルケア」の人もいる。後期高齢者が最高数となる2042年までに約200万人が介護で仕事を辞めてしまっては、日本の経済的損失どころか国力が失われる。


 家族の介護のために生活保護に陥った人の話も聞いた。また、親の介護に関わることになるだろう子どもの状況を見ると、「引きこもり」の最多は40代という(朝日新聞)。介護する側がどのような状況に置かれているか、今の医療介護業界は「家族」というものをすっぽりと見落としていないか。


 一方で、多くの健康な人は普段、医療介護などに興味はない。筆者は約20年記者をしてきたなかで、痛感している。一般雑誌などいろんな媒体に「介護保険の使い方」「施設の見分け方」などの記事を書いたが、反響は少ない。とくに健康に関心のない一般向け媒体の場合、自分事ではないからだ。


 ところが「いざ」となったとき、筆者に電話がかかってくる。「親が脳卒中で搬送されて、でもすぐ退院しなきゃいけないらしい。施設ってどうしたらいいの?」「親が認知症ぽくて、相談したいけど、窓口が平日9時5時しか空いてなくて行けない。どうしたらいいかわからない」「夫が大腸がんになった。医療費っていくらかかるの?」「今の医者と相性が悪い。いい医者ってどこにいるの?」などなど、筆者に寄せられた医療介護相談は数も種類も枚挙に暇がない。


「医者に相談しても埒が明かない」という話も聞く。当然だ。医師と患者のコミュニケーションに齟齬が起こるのは視点が違うからだ。医師は病気を「点」として診察室で目の前にいる個人の「病気」そのものしか見ない。一方で、患者にとって病気とは生活の延長「線」、もしくは職場、家庭、人間関係などさまざまな関係性の重なる人生の「面」の上に存在するものだからだ。このため、医師のアドバイスが患者の生活にまるで合わない、もしくは医療によって患者家族の生活が一変することは頻繁に起こる。


 本人が病気や要介護状態になれば、家族が影響を受ける。例えば、母親は「夫が病気になった。今後息子の学費をどうしようか……」。父は「私も妻も働いている。親が要介護になったら、介護はどうすればいか……」。子どもは「病気のせいで受験が、就職ができない、いじめられる」など。病気や介護が絡むと人生設計上の心配事が増える。


 医療関係者に知り合いがいなければ、インターネットで調べるのが一般的だろう。しかし、グーグルで「大腸がん いい病院」などと検索しても、やたら先進的で高額な自費手術を行っている医療機関やサプリメントのPRが上に出てきて、なかなか本当に欲しい情報にたどり着けない。それっぽいものが出てきたとしても、正しいかどうか判別が難しい。しかし、「いざ」となったとき、調べている時間や公的機関による平日9時5時の相談窓口などに出掛けている時間などない。施設見学は手間も労力もかかるため、よほど日ごろから情報収集しておかなければ「いざ」というときに選ぶのは難しい。筆者は、「いざ」というときに医療の方針や施設選びに迫られ、残念な結果となった家族を多く見てきた。


 健康であれば、家族に何も問題がないときは医療健康情報はスルーする。しかし「いざ」となったら適切な情報、セカンドオピニオンだけでなく、3~4つの別の見方も欲しくなる。「よりよい医者と出会いたい」と誰もが思う。しかし、今はそれが難しい。


 この、「適切な医療健康介護情報を、『欲しい』と思ったときに、その人に合った形にカスタマイズして届ける仕組みができないか」。これが記者を20年続けた筆者の積年の望みだ。その間に、ウェルクのような偽医療情報事件も起こった。「肩こりは動物霊のせい」というのは極端な話だったにせよ、現状も医療健康情報が玉石混交であることには変わりない。


 そんななか、兵庫県立大学工学研究科で、「テキストマイニング」「Webマイニング」という手法を用い、情報の質や信頼性についての評価・分析手法を研究する湯本高行助教と知り合い話をうかがった。テキストマイニングとは、統計学やパターン認識、AI等のデータ解析技法を、文字列を対象に行って知識を取り出す技術。Webマイニングは、Webページを対象に行う。「ウェルクの問題もあり、情報の信頼性の問題が気になってきた」と問題意識を語る湯本助教の研究内容の話からは、質のよい情報を選別していけるようになり、信憑性の低い情報は淘汰されていく仕組みづくりの可能性を感じた。「今のあなたには、この辺りの情報が必要では?」と提案できる仕組みも今後できるのかもしれない。


 ただ、研究も発展途上であり、人間の心理の問題もあるため、「100%正しい情報」など存在しない(そもそも医療のガイドラインも常に改訂を続けている)。湯本助教が、機械が情報を提供するようになったとしても最終的には「ユーザーが判断するしかない。ユーザーが(情報について)考える姿勢をサポートできたらと思っている」という形が求められる情報サポートだろうと思う。


 平日に休んで地域包括支援センターに出掛けずとも、通勤途中の電車でスマートフォン検索することで、それなりに信頼度の高い情報を手に入れられるようになれば、介護や看病に関わる家族の手間は相当省けるようになるのではないか。介護や病気に対し、少しでも見通しの立つ情報を手に入れられるようになれば、余裕を持って生活し、本人に対しても前向きに接することができるようになるのではないか。家族を支えるソリューションこそ、開発されてほしい。


 介護と育児に追われながらも、必要な人に必要な情報を届けたいと願う、筆者の切なる願いだ。(熊田梨恵)