「文春砲」の独走が止まらない。菅原一秀・前経産相、河井克行・前法相と立て続けに2大臣の“首”をとったあと、今週のターゲットになったのは千葉県知事。『森田健作 台風被害の最中に「公用車で別荘」疑惑』というスクープである。台風15号が未明に千葉県を襲った当日は、夜が明けて風雨が収まっても終日登庁せず、翌日もふらふらと自宅周辺の「私的視察」に出かけるなど、知事として陣頭指揮を執る役目をほとんど放棄した実情が暴かれている。この記事をきっかけに森田知事は釈明会見を余儀なくされ、その説明がまたボロボロで、目下、火だるまになっていることは周知のとおりである。


 文春の仕事ぶりは今週もお見事であった、という以外にない。だが、他のメディアは何をやっているのか、というもどかしさも、先週抱いたのと同じ感想だ。前回も触れた文春の匿名コラム『新聞不信』は、『記者よ、本務の時だ』と新聞記者たちに、そろそろ一矢報いる報道をしてみたらどうか、と“檄”を飛ばしている。


 で、それはそれ。今週は新潮と文春が久しぶりに真逆の論調で、さや当てをするテーマが浮上した。5年前に他界した名優・高倉健氏の晩年に寄り添い、その死去の1年半前に「養女」となった元女優・小田貴月さんがこのほど文藝春秋から『高倉健、その愛。』という本を出した。そのことを巡る立場の違いである。


 新潮はこの件で、『遺産総取りの「養女」は手記出版! 「高倉健」実妹が悲しみ嘆く「非情の相続人」の肉親排除』という記事を載せた。有名人の死の間際に年齢差のある女性が“身内”となり、莫大な遺産を相続した。その部分はやはり目を引いて、健さんと同じ年に死去したやしきたかじん氏のケースが思い出されるが、健さんのこの「養女」も健さんの親族や親しい人々との摩擦や対立では、あの事例と負けず劣らず、といった感じらしい。


 記事によれば、彼女が取り仕切った「密葬」は、84歳の妹や甥・姪たちをすべて排除して行われ、亡骸も独断で散骨してしまった。健さんは以前から、鎌倉に元妻の江利チエミとの「水子」を埋葬した墓地を持っていて、いずれは本人も、と周囲から思われていたのだが、彼女は墓石を取り払い更地にしたらしい。健さんの愛車のコレクションやクルーザーも処分してしまったという。


 手記を刊行した版元の文春はさすがに、新潮のようなスタンスを取るわけにはいかず、同誌の名物対談枠『阿川佐和子のこの人に会いたい』で当人の顔を伏せたまま、貴月氏とのやり取り、要はパブ記事を載せている。主見出しのように抜き出された貴月氏のセリフは《高倉からは耳にタコができるほど「任せたよ、任せたよ」と言われていたので……》。新潮が批判したような論点は、阿川さんも一応質問しているが、すべては「個人の遺言に従ったまで」の一点張り。正直、面白みに欠ける対談記事だった。


 とは言っても、阿川さんにも名インタビュアーとしての自負があるのだろう。『一筆御礼』という対談の後記には《お話を伺えば伺うほど、納得できたりできなかったりの繰り返しで、もやもやとした余韻がいまだ心の片隅に残っています》と、率直な感想を記している。「私個人には、貴月さんを擁護するつもりはないですよ」という阿川さんなりの弁明にも読める。となると、文春もビジネスとして本は出したものの、彼女の主張に関しては、一歩引き距離を置くスタンスかもしれない。結局のところ、こちらの“美談”もまた、たかじん氏のケースと似たり寄ったりの話なら、大スターの孤独な老いと死を巡る裏寂しいエピソードということになる。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。