朝晩の蝉時雨が止み、アサガオの花が綺麗に咲く季節になった。残暑がいつもより厳しいなあとは思うものの、通勤電車を待つ間から手にしたタオルハンカチが拭いた汗で重たくなるということも少なくなり、天気予報アプリで台風の進路チェックをしながら、あるいは、随分延びた建物の陰を歩きながら、季節が移ったなと思う、そんな時期になった。実験材料の植物を育てて調達する筆者は、これまでであればこの時期は同時に交配用の袋かけの時期であり、最も忙しい時期のひとつであった。数年前の薬用植物園大規模改修工事で、実験用圃場が面積の都合で無くなり、今では栽培のほとんどを人工気象器内で行なっているため、袋かけは季節作業ではなくなってしまった。学生時代から毎年30年近く行ってきた季節の大仕事が無くなったのは、少し寂しい気分でもあるのだが、作業に追われることなく初秋の風情を楽しめるのはなかなかに嬉しいものだなあと思うことにしている。


 シソは日本人なら殆どの人が知っている香味野菜だが、シソと聞いて緑色の葉を思い浮かべるか、暗紫色の葉を思い浮かべるかは職業や食経験によって大きく異なるようである。シソジュースが好きだったり、梅干しを自分で漬ける習慣があったりする人や、生薬関係企業社員だったりすると、シソは赤ジソを想像するし、食卓にのぼるシソくらいしか知らない場合は青ジソにより馴染みがあるだろう。でも実はシソは赤ジソと青ジソだけでなく、多様な形態のものがあって、においも10種類ほどのバラエティーがあるのである。


シソ 


 形態でいうと、向軸面(いわゆる上面、表面)が緑色で、葉脈と背軸面(いわゆる下面、裏面)が暗紫色の片面ジソや、長い毛が非常に密に生えているエゴマも、遺伝的なグルーピングでは赤ジソ、青ジソと同じグループになる。ここでいう遺伝的に同じグループとはどういうことかというと、自然状態で開花して、お互いの花が近くにあれば自由に交雑して稔性のある(子孫を残すことができる)子孫ができるということである。


片面ジソ


エゴマ


 例えば、同じシソ属植物であっても、野生種はシソやエゴマと、あるいは異なる野生種間では交雑できない。しかし、形態が大きく異なる赤ジソとエゴマは簡単に交雑できて、普通程度に稔性のあるたくさんのタネができるのである。


 不思議に思われるが、これは栽培種であるシソやエゴマと野生種(レモンエゴマ、トラノオジソ、セトエゴマ)の染色体数が異なるためである。シソに野生種があることはあまり知られていないようで、一般の方では、エゴマが野生種でシソが栽培種でしょ、とおっしゃる方が多いが、エゴマとシソはいずれも栽培種で染色体数は 2n = 40 である。野生種は染色体数 2n = 20 で、先に書いた3種がある。


レモンジソ


トラノオジソ


セトエゴマ


 栽培種の染色体数は野生種のそれのちょうど2倍なのであるが、植物の世界ではこういう倍数関係はしばしばあることで、例えば、ハッカの仲間(Mentha sp.)では12の倍数のさまざまな染色体数の種がいくつも存在する。ハッカでは、それらの類縁関係もかなり明らかにされており、例えば、2n = 72 のペパーミントは、2n = 96 のウォーターミントとス2n = 48 のペアミントの雑種から成立したとされているし、2n = 96 の Mentha. canadensis は 2n = 72 のヨウシュハッカと 2n = 24 のナガバハッカの雑種であろうと考えられている。


 振り返って、シソについては、3種の野生種のいずれかがシソ・エゴマの親種のひとつだったと予想されるわけであるが、残念ながら、どれとどれが親となった野生種であるかは未解明のままである。実のところ、筆者が大学院生の頃から取り組んでいまだに解決していない課題が、このシソ・エゴマの祖先種探しである。


シソ・エゴマ


 野生種は3種しかないのだから雑種を作れば分かるだろうと、実際に野生種を2種ずつ互いに交雑させた雑種を作ってコルヒチンで染色体倍加させてみたが、雑種もその複二倍体(雑種を染色体倍加させたもの)にも、残念ながらシソ・エゴマと同じものは現れなかった。


 しかし、これだけはほぼ確実なこととしてわかったことがある。それは、野生種3種のうち、レモンエゴマが栽培種の親種の一つであるということである。レモンエゴマは花穂の形態が野生種中で唯一栽培種に似ており、苞(萼の下についている小さな葉のような組織)がタネの成熟とともに脱落するという性質や、赤い色素を含んでいることが栽培種と共通しており、遺伝子には栽培種と共通部分があって、台湾や中国中南部、韓国にも生育しているなど、栽培種と最も共通点が多い。現在もなお、このレモンエゴマの相方となった未知の野生種を探している状況である。


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伊藤美千穂(いとうみちほ)  1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。