「薬食同源」や「医食同源」といった言葉を持ち出すまでもなく、「食」が人の健康に深く関わっていることに異論を差し挟む者はいないだろう。


『日本人の病気と食の歴史』は、縄文時代から現代にいたるまで、日本人の病気(や治療法)と食の歴史を辿り、〈忘れてはならない教訓や、今の時代に生かすべきヒント〉を紹介する一冊である。


 主食に白米、1日3食、箸を用いて食べる……、今は「当然」と思っている食習慣がいつ生まれ庶民に定着したのか、時代ごとにどんな病気が恐れられていたのか、本書を読むことでよくわかる。


 戦後、日本人の平均寿命は栄養状態の改善や衛生管理、国民皆保険の導入などで大きく伸びたとされるが、日本人は昔から長生きする人も多かったようだ。『魏志倭人伝』には〈80歳あるいは100歳まで生きる〉とあり、〈日本人が長寿だという記載は、5世紀前半に大陸で編纂された『後漢書』にも出て〉くるという。


 日本人の長寿の源とも言える「和食」に大きな影響を与えたのは、なんといっても〈肉食禁止令〉だろう。古墳時代には、仏教の教えに従って、日本で最初の肉食禁止令が出される。


 肉食禁止令が出たことで、逆に日本の調理・加工技術は大いに発展した。精進料理における出汁と調味料の工夫、味噌や醤油などの大豆の発酵製品の誕生など、健康的な和食につながる基本的な部分がつくられていく。


 もっとも、日本人がまったく獣肉を食べないという時代はなかったようだ。最初の禁止令でも〈野生の猪、鹿などは食べることができました〉という(現代でいう「ジビエ」だ)。その後も“薬”として食べたり、馬肉を桜肉、鹿肉を紅葉、猪肉を牡丹と呼んだりしてひっそり食べていた。


 一方、仏教の戒律を守って肉を食べなかったことが、短命につながったとみられる人物もいる。本書で紹介されるのは戦国武将の上杉謙信。謙信は酒を飲んで、手洗いに立った際に倒れて亡くなるが、〈新鮮な肉や魚には血管を丈夫にする作用があるため、肉を食べなかった謙信の血管はもろくなっていた〉ようだ。しかも、日ごろから酒を飲むときの肴は、梅干しだけだったという(いかにも血圧が上がりそうで、この習慣も体に悪そう)。


■現代に通じる華岡青洲の麻酔薬開発


 痛風をはじめ「ぜいたく病」とされる病気は現代にもあるが、昔のそれは「脚気」だろう。


 平安時代に貴族は白米を食べるようになったが、白米はビタミンB1が玄米の5分の1と大幅に減ってしまう。豚肉などにも多く含まれるが、前述の肉食禁止令で肉を食べなくなったため、ビタミンB1の不足でかかる脚気が貴族の間に広がったのだ。


 武士は玄米を食べていたため、室町時代には脚気は減っていたが、〈江戸時代に入り、将軍や幕府の重臣が白米を食べ始めると脚気が再び増加し〉た。3代将軍徳川〈家光の他に4代将軍家綱、13代将軍家定、14代将軍家茂も脚気で死亡したといわれて〉いる。


 その後、脚気は庶民にも広がった。〈地方の人が江戸に働きに来ると発病し、地方に戻ると直った〉ことから、「江戸わずらい」と呼ばれたという。地方では玄米や雑穀などを混ぜたご飯を食べていたため脚気を発症しなかった。


 脚気は〈日本を中心とするアジアの病気〉だったため、海外で治療法が開発されず、明治になっても“国民病”として日本人を苦しめた(脚気を防ぐため、麦飯を推奨した海軍医の高木兼寛<東京慈恵会医科大学の創設者>とこれを批判した陸軍医の林太郎<小説家の森鴎外>らとの論争はよく知られている)。


 本書を読むと、現代の感覚では笑ってしまいそうな民間療法の数々が登場するが、逆の意味で驚いたのが、江戸時代に行われた華岡青洲の麻酔薬の開発だ。


 有吉佐和子の『華岡青洲の妻』を読んだときにはまったく気づかなかったのだが、著者は青洲が江戸時代に動物実験→臨床試験という〈いまの時代に法の規制のもとで行われる薬の開発と同じ手順をふんで研究を進め〉ていたと指摘している。


 先人たちが提唱した、さまざまな“健康の奥義”は本書を読んでいただきたいが、自らへの戒めとしてひとつ紹介したい。〈飲み過ぎるくらいなら飲まないほうがましだ〉。織田信長も高く評価していたという“医聖”曲直瀬道三の言葉である。(鎌)


<書籍データ>

日本人の病気と食の歴史

奥田昌子著(ベスト新書900円+税)