大阪の小6女児誘拐事件ほど驚くものはない。家が嫌になったかららしいが、小学6年生の女子児童がSNSで“言葉”をやり取りしただけの男の誘いに乗って栃木県まで連れ去られるという時代なのかと思うと空恐ろしい。


 私事で恐縮だが、中学生時代、母親に「今日は友達の誰それの家に行き、泊る」と言って出掛けたことがある。翌日、帰るとき、友達の母親から「家に着いたらお母さんに渡してね」と新聞紙にくるんだものを預かった。家に帰って母親に渡して、ついでに中を開けたら卵が入っていた。「なんだ、卵か。家にもあるのにね」と言ったら、母親に叱られた。卵は『確かにお子さんを預かりましたよ』という意味なのだ。


 時代が移って、平成初頭のころである。スポーツ雑誌の編集長からこんな話を聞いた。


「夜中にトイレに起き。用を済まして寝室に戻るとき、女の子が通りかかり、『今晩は』と挨拶した。寝ぼけ眼で『ハイ、今晩は』と挨拶を返して布団にもぐりこんだが、『あれ、うちには男の子しかいないのに、あの女の子は誰なんだろう』ということに気付いた。どうやら中学生の息子の友達だったらしいが、子どもたち同士、親には何も言わずに友達の家に泊まったり泊まらせたりしている」というのだ。週刊誌の特集になるかと思って、あちこち聞き回ったら、子どもが「友達の家に勉強に行く」と言って出掛け、そのまま泊まったりすることが結構、頻繁に行われている、親も知っているという話だった。


 この時代の子どもたちが今、親になっている。しかも、スマホの時代である。その子どもたちがSNSでメールをやり取りしただけで平気で泊りに行ったりするのも当世流なのか。


 今回、誘拐された少女だけでなく、30歳を超えた犯人の家庭の事情は新聞、テレビでは触れない。プライバシーということなのだろう。


 しばらく前、シングルマザーの取材をしたことがある。多くのシングルマザーの家庭では別れた前夫が養育費を払わず、生活は楽ではない。母親が朝から夜遅くまで2つの仕事を掛け持ちして生活を支えている。昔は、「子どもは父親の背中を見て育つ」と言ったものだが、シングルマザーの家庭では母親の背中を見て育った子どもが自ら「大学には行かないよ」と言っている。母親にはつらい言葉だろうが、『家貧しくして孝子出づ』で、胸が熱くなる。


 誘拐された小6女児の母親は朝食後、眠くなって寝ていた間に少女がいなくなったと伝えられているから、母親の仕事はある程度、察しがつく。それでも必死にわが子を探していたことに子どもへの愛情が感じられ安堵した。かつて、週刊誌では少年、あるいは、青年が社会にショックを与えるような事件を引き起こしたとき、しばしば『親の顔が見たい』という記事を書いたことがあるからだ。


 しばらく前にマッカーサーが帰ったと思ったら、トランプが相撲を見に来た、という世代の人間には、昨今のSNSでのやり取りで少女を呼び寄せたり、ついていってしまったりするのは理解不能だ。育て方の問題なのか、家庭の問題なのだろうか、それとも社会の問題なのだろうか。防止策としてスマホにフィルターをかけても、好奇心旺盛で頭が柔らかい子どもにとってはフィルターを解除するくらいお手のものだろう。親は定期的にスマホのチェックすることが必要というだけでは済まないような気がする。もはやお手上げだ。