週刊朝日と週刊新潮が、厚労省労政審議会が発表した「パワハラ指針」について記事をまとめている。週朝のタイトルは『パワハラ天国ニッポン 止まらない職場のいじめ』、新潮は『自殺者続出でお上が「パワハラ」指針という愚の骨頂』。この5月に成立した「パワハラ防止法」が来年から施行されるのを前に、パワハラか、そうでないか、を分類した25項目の指針だが、たとえば「殴打、足蹴り」はダメだとか、「誤ってぶつかる」のはセーフだとか、当たり前すぎる箇条書きが続き、結局のところ「微妙な線引き」の判断には何の役にも立たないと、両誌とも手厳しく批判している。
新潮の取材にコメントした専門家は、「遅刻など社会的ルール違反への強い注意はOK」などとされた指針の記述そのものが、「あくまでも『強い注意』の一環だ」などと、パワハラ上司の言い逃れに悪用されるリスクがある、と指摘する。逆にパワハラか否かの判断に、受けた側の「受け止め」への配慮を、と記述した部分は、あれもこれもパワハラ、という部下側の拡大解釈に利用される危険もあるとする。
週朝記事に載った専門家コメントがなんともやるせない。「パワハラを行うような人間は、自分の行為を正当化するために被害者を攻撃しているため、その考え方を改めさせるのは、至難の業だ」というのである。このため「(その職場が人生にとって必ずしもかけがえのない場所でないのなら)退職する選択肢を考えるべきだ」と、この専門家は助言する。
私自身、あからさまなパワハラを受けた体験こそないが、職場のストレスが原因で、30代後半にして会社を辞めている。自殺をするくらいなら退社を、という至極当然な判断さえ、ギリギリまで追い詰められ思考停止状態に陥ると、できなくなるものだ、という話も耳にするが、ならばなおのこと、切羽詰まった状況になるはるか手前の段階で、嫌だったら辞める、と見切りをつけることが大切だと思う。サラリーマンにとって「辞めること」こそが、ただひとつ確実に行使できる“カード”であり、危機回避にそれを使わない手はないと思うのである。
それにしても、こんな愚にもつかない「指針」を発表する役所自体、その内部では間違いなくドロドロしたいじめやパワハラが渦巻いている。「桜を見る会」の問題でも、政権の不祥事を隠すため公文書の隠ぺいを強いられたり、見え見えのウソをつかされたり、犯罪同然の行為を強いられる役人の姿を見るにつけ、この国の“ムラ社会的”な組織の体質にはつくづくゲンナリする。
先だっては、神戸の小学校で教員同士のいじめが発覚し、問題化したが、「子どもたちのいじめ問題」に取り組むそれ以前に、この国では大人たちの組織文化そのものが“いじめまみれ”である現実を直視しないことには、子供向けの対策も“きれいごと”に終わる。今回の厚労省指針も、言ってみれば「官」から「民」に向けた“きれいごと”であり、そもそも「官」の側の担当者の心根に「いじめやパワハラの撲滅など不可能だ」という本音がある限り、実効性のある対策などあろうはずもないのだ。
さまざまな外国人に聞くと、“程度問題の差異”と言える面もあるのだが、それでも日本の“いじめ文化”には、世界トップクラスの根深さがおそらくある。上下関係を重視する人付き合い、およびそれに付随する国民性に関わる“病”のように思える。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。