統合失調症は、躁うつ病と並んで“2大精神疾患”とされるメジャーな病気だ。100人に1人弱が発症するとされ、発症の時期は青年期から30歳頃が中心である。
治療には、薬物治療が不可欠である。日本の製薬会社からも「エビリファイ」(大塚製薬)、「ロナセン」(大日本住友製薬)といった有力な薬が開発されてきた。
もっとも、認知症などと同様に、原因や発症のメカニズムがよくわかっていないため “決定版”と言える薬剤もない。統合失調症は、今も新薬の開発が期待される疾患なのである。
『統合失調症』は、症状・治療から、歴史、社会制度など、この病気を取り巻くさまざま論点を、わかりやすく解説した一冊である。
周囲の人たちが当惑するのは、なんといっても〈「本人が見ている世界」と「現実の世界」の大きな違い〉から生じる〈統合失調症の代表的症状である幻覚や妄想〉である。
私が知っているケースだと、現実には何も起こっていないのに、「同居している義父が自分を襲ってきた」とか、「雇用主がパート職員である自分にすべての罪をなすりつけてトンズラしようとしている」と言って周囲を困らせたりする。こうした言動がもとで職場を解雇されたり、親せきや友人が離れたりして、社会的に孤立するケースもあるようだ。
■“もうひとつのリカバリー”とは
病名がよく知られている一方で、統合失調症には誤解も多い。
よく知られているのは「母親仮説」である。〈統合失調症という病気は、乳児期あるいは小児期に重要な他者(すなわち母親)から、無視や拒否されたことによって生じた〉という考え方。現代では誤った仮説とされているが、著名な精神分析家が提唱したことや、〈素人感覚との相性が良かった〉ことなどから、一般にも広がった。
実際、統合失調症の子を持つ母親で、親戚筋から「原因は母親ではないか」と白い目でみられていた人物を知っている。しかし、〈統合失調症については家族歴以外の強力なリスク因子は特定されていません〉という。地域差もなく、著者は、〈養育環境、時代のうねり、などとは関係なく、「普通の病気」として、遺伝要因に特別なことでもない様々な環境要因が組み合わさって、どんな時代でも大差なく生じると考えるのが科学的に健全な発想〉という。
本書によれば、精神科の入院患者に統合失調症の患者の占める割合が61%、患者のうち入院している人の割合が19%である。さまざまな研究の中央値をとると、リカバリーしている(寛解後、十分に時間がたち、仕事や学業に戻っている)人の比率は7名中1人で、〈重症の部類に入る病気〉であることは確かだ。
一方で、著者が取り上げている〈もう一つのリカバリー〉の概念は、統合失調に苦しむ人にとって有用な概念だろう。
肝は〈そもそもの物の見方を変える〉こと。病気によって幻聴が起きたりすることで、進路を変えたり、服薬を続けたりしなければならないかもしれない。しかし、〈新しい人生を自分の人生としてしっかり受け止めることができている〉。発症以前とは違う形とはいえ、うまく病気と付き合っている状態を、もうひとつのリカバリーとしてとらえれば、“回復”する人の比率は格段に上がる(著者の見立てでは50%である)。
もうひとつのリカバリーを実現するには、本人だけでなく、周囲の病気に対する正しい理解も不可欠である。統合失調症とは〈社会がこの病気とどう向き合うかによって、この病気をもつ人たちの人生を大きく変えることができる病気〉なのだ(個別・具体的なケースを考えると、簡単ではないことは容易に想像がつくが……)。
それにしても、精神医学が〈「本人が考えていること」を病気の中核症状と定義したことによって、病気の動物モデルがつくれなくなってしまった〉ことは、新薬開発に大きく影響を及ぼしているはずだ。他の病気では当然の動物実験ができないからだ。画期的な治療薬の開発には、従来の精神医学とは、まったく異なるアプローチが必要になるのかもしれない。(鎌)
<書籍データ>
『統合失調症』
村井俊哉緒(岩波新書760円+税)