OECDに加盟する国と地域の15歳を比較した2018年の国際学習度調査(PISA)で、日本の若者の「読解力」は、前回15年調査の8位から15位に急落した。「日本語の文章をまともに読み取れない若者」の増加が示されたのである。近年の活字離れ、あるいはネット上の「誤読の氾濫」とも符合する結果だ。本欄では、かつて国立情報学研究所・新井紀子教授の著書『AIvs.教科書が読めない子どもたち』に触れ、「中学生の3人に1人以上」「高校生の3割以上」が教科書レベルの文章が読めないという警告を紹介した。状況はさらに悪化しつつあるようだ。


 で、8日の日曜日、フジテレビの番組『ワイドナショー』が、このPISAのニュースを取り上げた。出演した松本人志氏、古舘伊知郎氏、武田鉄矢氏の3人は、中高年の立場からこの結果を散々嘆いたあと、番組が用意した「読解力試験」、4択式の例題2問に挑戦し、あろうことか両方で3人とも間違えてしまうという大失態を演じた。


 出題されたのは、どちらも新井教授らが中高生などに行ってきた「基礎的読解力試験」の問題だ。多少複雑な構文だが、丁寧に読めば解けて当然の内容である。短くまとめるため、設問の骨格だけを示せば、その一方はこのようなものだ。


《Aという酵素は「BからつくられたC」という物質を分解するが、「BからつくられたD」は分解しない》。この文を読み、次の問いに答えよ。《Cと( )は違う》。この( )に入るのは次のうちどれか。①A②B③D④酵素。


 実際の問題は、A~Dに具体的な物質名が入り、カギカッコもつけられず、やや複雑な印象を与えるが、枝葉を取り去れば、これだけだ。正解はもちろん③。もう1問の難易度も似たようなものだったが、3人の“ご意見番的芸能人”はいずれも正解を外した。


 3人の誤答そのものにもまして、私が衝撃を受けたのは、この場面をカットせず放送したテレビ局の“蛮勇”だ。この程度の文意が読み取れない読解力の欠落は、話術を売りにするタレントの致命傷にならないのか。他人事ながら、心配になってしまう。「世の中の出来事」にあれこれコメントする立場でテレビに出ていながら、気の利いたオピニオンを言う以前に、そもそもの「出来事の内容」を理解できているか、という点で、相当に頼りない能力であることを、さらけ出してしまったのだ。


 とは言っても、この心配が杞憂にすぎないこともまた、私も実はわかっている。結局は、ちょっとした笑い話としてスルーされて終わる。それにしても、読解力不足はもう、中高年の問題でもあることを、あの番組は万人にさらしたのだ。私の実感では(出版統計とは別に)、1980年前後から日本人の読書習慣は、質的に右肩下がりにある。「文学青年」という言葉が、暗く、ネガティブな響きを帯び始めてからだ。そしてもはや、まともな読書経験なく生きてきたことを、一国の首相、副首相が国会答弁でさらけ出し、そのことで指導者としての資質を問われない。そんな時代に我々は生きている。


 今週の週刊新潮は『元凶は「文科省」と「SNS」! OECDテスト「読解力15位」に転落した「国語」の危機』という記事で、この問題を取り上げた。そんな“卑小な元凶”のつるし上げで済む問題かと言えば、私には疑わしい。ことはもっと深刻なはずだ。読解力不足は国語科の問題にとどまらず、「過去に文字情報で得た知識全体の正しさ、それを土台に培われた人間観や社会観の総体」に関わってくる。早期の英語教育や「パソコン1人1台」を論じるより前に、対策を考えるべき問題であろう。怪しげな能力の政治家を交えずに、それ相応の読解力を身に付けた専門家たちによって。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。