プロ野球で試合終了後、勝利に貢献した選手にマイクを向ける場面がある。ゲームは終わったばかりで呼ばれた選手はまだ興奮気味だが、そのやりとりは判で押したように締め括られる。


「最後に(ファンの皆さんに)メッセージをお願いします」

「応援、よろしくお願いします!」


身も蓋もない聞き方だが、その答えもまた、芸のないことこのうえない。応援がなくても全力を尽くすのがプロ。昔は恥ずかしげもなくヒーローインタビューなどと大げさなことは言っていなかった。聞き手は野球知識に富み、選手は今後の対戦で不利にならない程度に振り返っていた。中継時間の関係で多くはなかったが、ONはもちろん、江川や西本、掛布らの話には味があった。もっと、気の利いたことは言えないのか。


プロスポーツは、人並み優れた技量の持ち主で、選ばれた者だけが生き残る世界だ。勝ち負けもさることながら、鍛え抜かれた技術を披露するのが仕事。全方位的に「見られる」ことを前提にした客商売である。そのなかには、当意即妙に受け答えする能力も、当然含まれていい。しかるに、わが国のプロ野球界で、気の利いたコメントを発する選手のなんと少ないことか。


いまどきは「しゃべるな!」と釘を刺されていた角界の力士のほうが面白い発言をする。阿炎(あび)や御嶽海(みたけうみ)のインタビューを聞くがいい。


聞くところによると、米国では、プロ志望の有力選手には大学時代からエージェントが張り付き、マスコミ対策として記者会見やインタビューでのスピーチ術を学ばせるという。あるいはまた、大学の授業にPRコミュニケーションに関する講習があり、話術を教えるとも聞く。かの地では野球やゴルフ、バスケットなどのメジャー選手は大学を中退してプロになる学生が多いので、早くからマスコミ受けする、機転の利いたスピーチを身に付けるのだろう。


そうでなくとも、我われと違って彼らは元々ユーモアのセンスがある。仮にプロになる前のスピ―チ特訓がなくても、日本のプロ選手よりは上手いに決まっている。デレク・ジーターやタイガー・ウッズ、マイク・ジョーダンは、しゃべりも一級品だ。


そこいくと、わがNPBの選手の多くは、「初球から思い切って行きました」とか「(打球が)スタンドに入ってよかったです」としか言えないのだから、聞いていて呆れる。そりゃそうだろう、と半畳を入れる他ないではないか。


わずかに、今年引退した巨人・阿部慎之助のように「今季の目標は3割30本3盗塁」と茶化すくらいが関の山なのだ。そこへいくと、Jリーグの選手たちは、話し方の上手い人が多い。これは間違いなく、新人研修などでスピーチやマスコミとの対話といった科目を設けて、選手のコメント力を強化している体制を維持しているに違いない。


しかし、わがニッポンプロ野球界にもようやく、コメント力のある選手が増えつつある。その代表は、このほどレイズに入団した筒香嘉智だ。手元にメモを残していないので詳しく言えないが、この男は間違っても「応援、よろしくお願いします!」のような紋切り口調は発しない。考えて発言するタイプである。筆者はかねて、筒香の発言力の高さに驚いていた。どこかの首相も敬して遠ざかる外国人記者クラブに招かれて、発信するずっと以前からだ。その姿勢が少年野球への提言に繋がっている。


筒香の提言に共鳴したマリナーズの菊池雄星も一家言ある選手だ。入団会見の席で英語の挨拶をするほど、小さいころから自己表現や発言力を磨いてきたことが想像できる。155キロのストレートを投げる超一流が、自らの考えを伝えることにここまで努力するのは立派というほかない。


今年NBAのウィザーズに入った八村塁も、大学から米国に渡り、英語を学んでコメント力に磨きをかけている。日本語を話す機会が減ったせいなのか、やや早口でまくし立てるが、語彙は豊富だ。


優れた選手はスピーチにも魅力がある。結局、スポーツは頭の回転がよくなければプレーでも上手くならないということだ。運動神経は抜群だがオツムのほうはどうも、というのがスポーツ選手の通り相場だった。しかし、現代のあらゆるスポーツ、とりわけプロフェッショナルの世界で、それは通用しない。考えたうえでプレーし、聞かれれば的確に表現して、ときにはウイットに富んだコメントを発信しなければ、多くの支持は集まらない。「オウエン、ヨロシクオネガイシマス!」だけではダメなのだ。(三)