令和元年の大きな出来事のひとつに、フランシスコ教皇の来日が挙げられる。11月23日に来日し、4日間にわたり8つの演説を精力的に行った。もちろん、明るみに出た高位の聖職者が子どもの信者に行っていたというセクハラ事件に対して何も言わない、あるいは、今までローマ教皇は広島には行っても長崎に行かなかったが、オバマ米大統領は広島だけでなく長崎にも行ったことから、今回の日本訪問に長崎を加えた、などという批判もある。


 それはともかく、82歳のローマ教皇が各地を回り、説教で平和を訴え、なかんずく核兵器の廃絶を訴えているのは、立派であり感銘する。フランシスコ教皇のみならず、歴代のローマ教皇が核兵器廃絶を訴えてきたにもかかわらず、核兵器は減らない。それどころか、核兵器保有国は増えてしまっている。


 敢えて言えば、教会では敬虔な平和を愛する信者だが、教会を一歩出ると、俗人になってしまうのである。教会だけではなく、神社仏閣でも同じだ。人間とはそういうものなのだろう。


 しかし、ローマ教皇がいくら説いても、なぜ核兵器がなくならないのか。通常、防衛のため、仮想敵が持つから、抑止力だ等々、いろいろ言い分はある。だが、いくら教皇が核廃絶を訴えても、聞く耳を持たないのには別の見方もあるのではないか考えてみると、「信者ではない」という言い分があるかもしれない。


 核兵器を保有するロシアはロシア正教の国であり、カソリック教徒は少ない。アメリカでは歴代大統領のうち、アイルランド系だったケネディ大統領がカソリック教徒であったが、ケネディ以外の大統領はプロテスタントだ。最初に新大陸に来た清教徒以来、WASPが力を持ち、指導層を形成しているし、プロテスタントが国民の4割を占める。ローマ教皇が大歓迎されたが、もっぱら大歓迎したのはアイルランドのように遅れてアメリカに移民した人たちや中南米出身のアメリカ人である。


 プロテスタントは、早い話、キリストの真の教えに戻れ、と唱えた原理主義である。キリストの教えは人間を差別しないし、聖職者は信者に奉仕することが義務であり、聖職者に権威を認めない。信者の上に立ち、聖職者のトップに君臨する教皇という権威を否定さえする。当然、ローマ教皇が来ても歓迎はするが、プロテスタントは冷ややかだ。そのプロテスタント教徒である大統領が核兵器廃止を訴えても、あまり効果はないようだ。


 イギリスはプロテスタントの英国国教会であり、国教会信者でなければ首相になれない。夫人がカソリック教徒であったブレア元首相は首相退任後、カソリックに改宗したことでも知られている。


 中国は毛沢東主義の国だ。マルクス主義では「宗教は民衆のアヘン」と言い、宗教は否定する。仏教は弾圧されるし、人権を唱えたカトリック教会は弾圧された。そのキリスト教の一派が中国共産党寄りの姿勢を示したため、そこだけは優遇されている。むしろ、ローマ教会はこの中国政府と和解し、人権を無視する中国政府を批判するキリスト教会を見放したと批判さえされている。ローマ教皇の核廃絶の説教なぞ聞く耳を持たない。


 いまや、核兵器保有を武器に外交を行う北朝鮮も同様だ。ここの宗教は金日成主義だから、中国同様、ローマ教皇の説教など聞かない。


 インドは今、モディ首相がヒンズー至上主義を掲げている。むろん、国民の多数がヒンズー教徒だ。かつて英国の植民地だったとはいえ、カソリックはごく少ない。このインドに対抗して核兵器を保有する隣のパキスタンは、言うまでもなくイスラム国であり、ひそかに核兵器を持つとされるイスラエルはユダヤ教徒の国である。


 唯一、カソリック信者が多い核兵器保有国はフランスだけだ。ローマ教皇の説教に耳を傾けるのはカソリック教徒が多いフランスのはずなのだが、フランスでさえ、核兵器を廃棄しない……。宗教と現実は別のものということなのか。


 こうして見ると、世界中の人々から尊敬され、敬愛されるフランシスコ教皇が精力的に核兵器廃絶を説いても、核保有国は言うことを聞かない。「宗教が違うから、ローマ教皇の説教に従うことはない」「神様が違うから」ということなのか、核兵器はなくなりそうもないのである。


 教会の中では誰しも敬虔な、立派な信徒だが、教会を一歩出れば俗人に戻ってしまうのと同じである。悲しいことだ。(常)