昨今の医療技術の進歩で、もっとも注目してきたゲノム技術だが、このところテレビや全国紙など一般のメディアで取り上げられる機会も増えている。
『ゲノム革命がはじまる』は、日本でも普及している一般消費者向けの遺伝子検査サービス(DTC検査)やゲノム編集など、ゲノム技術の最前線を追った一冊である。著者の小林雅一氏には記者経験があるだけに、ジャーナリスティックな視点でまとめられている。
DTC検査といえば、遺伝子を検査して、糖尿病や心筋梗塞ほか、病気の発症リスクを調べるものという程度の認識だったが、現状ではさまざまなリスクを孕んでいるようだ。
そもそも、〈精度を証明する科学的根拠が欠けている――つまり「誤診の危険性がある」〉。一方、検査結果は医師や医療機関を介することなく届けられる。〈仮に検査結果が正しくても、それをユーザーが誤って解釈する恐れもある〉のだ。同時に複数の遺伝子検査サービスを利用した人が、異なる検査結果を受け取るケースもあるようだ。
こうした事態を受けてFDA(米国食品医薬品局)は、信頼性の懸念が払拭されていない、医療・健康関連の遺伝子検査サービスを停止させた。一方、日本では2000年代後半から遺伝子検査サービスが始まっているが、〈DTC業者は創業時から現在に至るまで厚生労働省から厳しく規制されたことはありません〉という。
米国と違って、〈日本の厚生労働省はDTCを医療ではなく、あくまでもヘルスケア(健康管理)事業とみなして〉いるのがその背景にあるというが、ヘルスケアだから規制は緩くていいというのは腑に落ちない。
医療・健康関連の遺伝子検査サービスに、厳しい規制が入った米国では、多民族国家ならではの活用法が人気を集めているという。「親族・先祖探し」――。自らのルーツ探しが〈DTC商品を購入するユーザーの主な目的となっている〉。親子関係を調べるのにも使われる(日本でも、芸能人の子が遺伝子検査の結果、実子ではなかったことが判明して週刊誌やワイドショーを騒がせたことがあった)。
さらに、DTC商品で集められた「ビッグデータ」は、製薬業界との提携で新薬の研究開発に活用されているという。匿名化されたデータの提供が前提になるが、製薬会社等のお金で、将来は遺伝子検査が無料になることも起こり得る(情報漏洩だけではないリスクも孕みそうだが……)。
驚いたのは、カリフォルニア州警察の捜査の事例だ。詳細は本書で読んでほしいが、大規模なDNAデータベースを犯罪捜査に利用し、犯人にたどり着いた。米国では同様の手法を用いて、迷宮入りしていたはずの事件を2018年4月からの1年間で、60件以上も解決したという。
■ゲノム編集食品は当面登場しない?
「クリスパー」の登場で一躍注目を集めるようになったゲノム編集技術。2018年には、米英の共同研究チームが、筋ジストロフィーを発症した犬をゲノム編集で治療して、成功している。
1年ほど前に、中国で“ゲノム編集ベビー”が誕生したことが話題になったが、その中国では、2016年ごろから希少性の肺がんや鼻孔がんなどの患者に免疫療法とゲノム編集技術のクリスパーを組み合わせた治療法の臨床試験を進めている。中国科学院などの研究チームは、2018年10月に〈同性の両親からDNA(遺伝情報)を受け継いだマウスを誕生させることに成功したと発表〉している。
クリスパーは、高校生でも少しトレーニングを積めば扱えるほど簡単だ。〈米国では普通の高校生が、クリスパーを使って「酵母菌をゲノム編集して緑色に光るビールを作る」「バクテリアをゲノム編集して、ヒト形インシュリンを生成させる」といった実験に取り組んで〉いる。しかし、それはリスクでもある。
米国では、クリスパーに用いられる試液や操作対象となる生物は、ウェブサイトなどでキット化して販売されており、普通に手に入る。日本では先日、高校生が放射性物質を保有していたことがニュースになっていたが、アマチュアの科学者が動植物に、場合によっては人体にゲノム編集を行い、さまざまな問題が表面化することも起こり得る。
足元で話題なのは、2019年10月に厚生労働省への届け出制度(任意)が始まった“ゲノム編集食品”だ。なぜかGMO(遺伝子組み換え食品)に課されてきた、安全性の審査や表示の義務がない。〈ゲノム編集で生物のDNAを改変しても、そこに外来遺伝子が組み込まれていなければ規制は不要〉との判断だというが、違和感は残る。
ちなみに、2019年12月時点で届け出はゼロ。表示義務がないことなどから、すでに流通している可能性がないとは言えないが、企業の側も慎重になっている可能性は高い。
本書には、東京大学医科学研究所が実施したインターネット上での意識調査の結果が紹介されている。〈ゲノム編集された農作物を「食べたくない]と答えた人は全体の四三パーセントに達したのに対し、「食べたい」は九・三パーセント〉〈畜産物では「食べたくない」が 五三・三パーセント、「食べたい」が六・九パーセントと拒否反応が顕著〉だ。
現時点では、食品メーカー側もリスクをとってまで、ゲノム編集食品を扱うメリットがない(もちろん大手は研究しているだろう)。
受精卵の選別、遺伝子ドライブ、ゲノム編集による若返り……、ゲノム技術をめぐっては未知の問題が数多く立ちはだかる。現在進行形の“革命”を整理する上で、ぜひ一読おきたい一冊である。(鎌)
<書籍データ>
小林雅一著(集英社新書840円+税)