まるでスパイ映画を見ているようだ。日産自動車元会長、カルロス・ゴーン氏の「日本脱出劇」である。なにしろ、保釈中のゴーン氏は楽器の箱に隠れて出入国管理をかいくぐり関西空港からビジネスジェット機で出国。トルコで別のジェット機に乗り換えてレバノンに逃亡したというのだ。最初、こういうことができるのはフランスのギャングか、マフィアだろうと思ったが、アメリカの特殊部隊「グリーンベレー」の元隊員が加わっていたと報じられ、なるほどと感じ入る。彼らはこういう脱出劇や潜入攻撃を生業にしているからだ。


 それにしてもゴーン氏の日本脱出劇には驚くと同時に憤りを覚える。さらに脱出劇を許した司法制度に腹が立つ。ゴーン氏は逃亡先のレバノンで日本批判に同調してくれそうなマスコミを相手に記者会見を開いたが、中身は想像通りに過剰なほどの身振り手振りの自己宣伝と陰謀説に、日本の司法制度批判だった。最も興味が湧く逃亡劇には触れなかった。


 ただ特筆すべきは、日本の司法制度批判の部分だけはフランス語だったことだ。フランスに日本批判をしてもらいたい意図が透けて見える。だが、この事件は内部告発と司法取引で始まっている。そもそもの疑惑と保釈中の日本脱出事件は本筋の裁判とはまったく別である。裁判で有罪になりそうだから逃げたというだけに過ぎない。それも条件付きの保釈中での国外脱出は日本の国家、国民に対して後ろ足で砂を掛けるような行為である。


 とはいえ、東京地裁の保釈の判断が甘すぎる。保釈の条件に被告人のパスポートを弁護士に預けさせ保管義務を負わせるのはいいが、身分を示すために必要だと言われて、パスポートを鍵を掛けたプラスチック容器に入れて持ち歩くことにしたというのだ。まるでマンガだ。プラスチック容器など用意せず、パスポートをコピーして地裁が「本人であることを証明する」と書いた書類を持たせればよいはずである。警察も公務員もその書類を見れば納得するはずだ。書類にハンコを押すのが嫌だからパスポートを持つことを許したのだろうが、プラスチック容器ではハンマーで叩いて壊すことなど容易だ。


 保釈に反対した検察が、海外に拠点があること、金持ちであることを保釈の反対理由に挙げていたそうだし、弁護士も保釈を勝ち取るため欧米のように本人の位置を示すGPSを身に付けることを申し出ていたというのだから、どちらも尤もである。だが、裁判官は世界に格好いいところを見せようとしたとしか思えない。裁判官は世間知らずで、現実社会が小説や映画より先を進んでいることを知らないからだ。この際、国外逃亡劇に対して東京地裁か最高裁事務局に地裁はどのように判断していたのか説明してほしい。もちろん、裁判官は個別の判決等について説明する必要はないが、保釈の判断基準を是非とも聞きたいものだ。


 むろん、弁護士側も道義的な責任があるが、弁護士のなかには「ゴーン氏の気持ちはわかる」と言っている人もいるところを見れば、弁護団としてきちんと経緯を説明してほしい。


 最も呆れたのが関西空港の出入国手続きだ。「ビジネスジェットの客は身分がはっきりしている」とか「楽器の箱が大きく、X線検査機に入らなかったので手持ちの検査機で検査した」、あるいは「無検査だった」「入国は厳しいが、出国だったから厳しくなかった」「ビジネスジェットでは持ち主と機長に任せている」とも伝えられている。この説明に納得できるだろうか。ではビジネスジェットに乗ってきた客は誰だったのか。フランスの大統領だったのか、ハリウッドのスターだったのか、信頼できる人たちの人物名を明らかにすべきだろう。


 音響機器の箱が大きくX線検査機に入らないというのなら、一般の貨物検査の場所に運んで検査するなり、箱を開けて中を確認すればわかるはずだ。その前に箱をノックしてみたのか。なかから「入っています」という返事があるかもしれない。


 余談だが、ニューヨークのメトロポリタン歌劇団のハープ奏者に会ったとき、彼女は「航空機で移動する際、ハープを貨物室に入れると壊されるので乗客と同じ座席に置きます。その場所を確保するため2人分の航空チケットを購入する必要があって大変です」と語っていた。その大きなハープはちゃんと検査機を通っているそうだ。X線検査はやろうと思えばできるのだ。


 だいいち、ビジネスジェット機の客は一般客と違い、身分がわかるというのはおかしい。金持ち優遇ではないか。一般客は「どこの馬の骨ともわからない」と言っているに等しい。そのうえ、馬の骨、いや貧乏人の一般客は何をするかもしれないが、金持ちは犯罪を起こさないと言っているのと同じだ。冗談じゃない。貧乏人はせいぜい包丁を振り回すだけだが、金持ちはカネの力で暴力団やマフィア、あるいはヒットマンを雇い、殺しや脅しを頼むかもしれないのだ。


 江戸時代の話でも、菓子折りに小判を入れて法を破るように頼むのはたいがい金持ちの“越後屋”と決まっている。出入国管理官の発想そのものが逆なのである。この際、「ゴ―ン・ルール」としてビジネスジェット機で来る金持ち客は一般客と同じ出入国管理にしたらいいだろう。文句があれば、レバノン政府とゴーン氏に言ってくれ、と答えればいい。


 この出入国管理を行うのは法務省の外局の出入国管理局であり、法務大臣と出入国管理局は国民に対して実情を説明し、謝罪する義務がある。先日、森雅子法務大臣が記者会見を開き、「法に触れることだと思う」と語っていたが、「思う」とはなんという言い草だ。国民は感想を聞いているのではない。法務行政のトップとして「思う」ではなく、「法に触れる」ときっぱりと言うべきだろう。こんな曖昧な答弁をするから日本がバカにされる。


 ついでに言えば、関空は世界の空港のなかで最も親切で効率的な空港とランクされている。ちなみに2位と3位は成田空港と羽田空港である。世界のトップとはルーズさの間違いではなかったのか。


 警察庁はICPOを通して国際手配したが、これでゴーン名義の銀行口座は封鎖されるだろう。さらにキャロル夫人を偽証として逮捕状を請求したと聞く。当然、ICPOに国際手配するだろうから、キャロル夫人の口座も封鎖されるだろう。加えて政府はレバノン政府に身柄の引き渡しを要求する必要がある。レバノンが応じるかどうかはともかく、引き渡しを要求したのだろうか。


 余談だが、「日本では国際的に公平な裁判が行われないためレバノンに来た」という言い分にも笑ってしまう。かつて、昭和天皇の在位60年を記念した10万円金貨が発行されたとき、偽10万円金貨が大量に登場した。捜査では偽金づくりは国内ではなく「海外」と見られた。このときの「海外」とは、ひとつは漢字の本家である中国だ。中国には先祖代々偽金づくりを生業とする人がいるという。もうひとつはヨーロッパで偽金づくりがたびたび噂されるというレバノンのことだった。そういうレバノンが国際的に公正な国というのだから笑ってしまう。


 もうひとつ大事なことは、こういうことが起こると、何のために東京オリンピックに向けたテロ対策をやってきたのだと、バカバカしくなる。テロリストはビジネスジェット機で来日すれば“安全に”入国できるし、ダイナマイトでも自動小銃でも放射性物質でもたやすく持ち込めることを世界に示したのだ。今までテロ対策を実演、公開してきた警察官が気の毒になる。


 今、ゴーン脱出劇に世界中が面白がっているが、情けないことに日本国民は結末を見守るしかない。(常)