世の価値観は数十年も経つと、驚くほど変わってしまうものだ。何年か前、改めてそう感じたのは、遠藤周作氏がユーモア・エッセイを書くときの雅号「狐狸庵先生」をうたった作品を本当に久しぶりにパラパラとめくったときのことだ。さらりと一瞥しただけなので、内容は忘れてしまったが、強烈に記憶に残るのは、今で言うセクハラ、パワハラがオンパレードのユーモア、という驚きであった。


 子供時代にこのシリーズを読んだときは、まったく違和感を覚えなかったのだが、男は到底女性に敵わない、と一見卑下するようでいて、その実、女は家を守る、三歩下がって云々と、今だったら総スカンを食いそうな固定観念をむき出しにした“小噺”が実は多い。氏の小説にはまるで感じない“古臭さ”を、エッセイには感じたのだ。


 そんなことをふと思い出したのは、今週から週刊文春で始まった新連載『桑田佳祐が文春にやって来た』を一読してのことだった。ダラダラしたとりとめのない本人のしゃべりを、編集部で文章化したエッセイは、その昔、週刊ポストが長らく載せていたビートたけしの連載を思い起こす。


 で、その初回に桑田氏が語ったのは、かつて80年代にはサザンの歌詞にしろ、PVの映像にしろ、“エロ満開”でいくらでも自由だったのに、昨今は“コンプライアンス”とやらのせいで、本当に窮屈になった、という嘆き節だった。


 桑田氏については出身地が近いこともあり、学生時代から好感を抱き続けているのだが、今回のエッセイには何と言うか、“氏も老いたり”という残念な感想が浮かぶだけだった。テリー伊藤氏にしろ、とんねるずの石橋貴明氏にしろ、80年代のテレビのハチャメチャさをよしとする人は、口を開けばみな同じことを言う。だが、当時の番組がそれほど面白かったか、と言えば、今となっては笑えない「度が過ぎた悪ふざけ・うちわ受け」も実際には多かった。


 桑田氏も、昔から悪ふざけが好きなアーティストのひとりだが、その人気は別に悪ふざけがあろうとなかろうと、あまり関係ない。私自身、“その部分”が好きだったわけではなく、今だったらコンプライアンスを云々する以前に、ふざけ方がダダ滑りしてしまいそうで、そっちのほうが心配になる。「自分たちの昔のハチャメチャさは愉快だった」という述懐は、思い出を妙に美化する年寄りの自画自賛、繰り言に聞こえてしまうのだ。


 話は少しずれるのだが、先だって京大名誉教授で保守文化人の佐伯啓思氏が、日本人の読解力の低下について朝日新聞に寄稿した論文で、原因のひとつに「行き過ぎたPC(ポリティカル・コレクトネス)」を挙げていたことにも首を傾げざるを得なかった。読解力の問題を戦後民主主義否定の持論に何とか結びつけようとする牽強付会に思えたのだ。


 かと思えば、元航空幕僚長の“愛国者”田母神俊雄氏はごく最近、日本の停滞を嘆く文脈のツイートで「平成の30年間はセクハラ、パワハラ、ヘイトスピーチ、体罰禁止の厳格化など息苦しい国になった」と仰天するようなことを呟いていた。「行き過ぎたPC」という話も理屈ではあり得ることと思うのだが、現状はセクハラ・パワハラが今なお横行し、ほんの少しそこへの抵抗が始まったばかりの段階だ。「ブラック企業」やら「忖度」やらの言葉が、死語になったわけではない。


 結局のところ、こうした“行き過ぎ論者”の人々は「自分たちはもう少し弱い者いじめをしたい。ガタガタ言うな」と言いたいだけに見える。この世代のこういった感覚こそ、私には“停滞の30年”を生んだ主因のように映るのだ。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。