アメリカが行った無人機による爆撃でイランの革命防衛隊のスレイマニ司令官殺害で、戦争になるという不安が広がった。早速、革命防衛隊がイラク国内の米軍基地にミサイル攻撃を行ったが、アメリカ、イラン双方が自制を利かせた。いや、正確にはイラン政府なのか、革命防衛隊なのか、不明だが、イラン側からミサイル発射の1時間前にイラク政府に連絡があり、基地から米兵は避難したため。人的被害はゼロ、施設が破壊されただけだったようだ。ハネメイ師は「米兵80人を殺害して復讐した」と語り、国内の不満を抑えたようだ。


 だが、イランという国は面白い、いや、特殊な国だ。その昔、アメリカはパーレビという人物を連れてきて国王に据えた。パーレビ国王は石油収入で専らアメリカから最新鋭の戦闘機や戦車を買い、軍を近代化した。病院をつくり、医療費を無料にし、さらにイスラム教で女性に義務付けられるヒジャーブと呼ぶスカーフや全身を覆うニカブやベルカの着用から解放し大学に進学させた。いわば、近代化だ。その一方、反対する者や従わない者には容赦ない厳罰を科した。


 典型的な強権政治だが、それが仇になって革命が起こり、パーレビ国王はアメリカに亡命。代わってイギリスに亡命していたホメイニ師が帰国。世上、「ホメイニ革命」などと呼ばれている。だが、革命後の政治は女性の大学進学を禁止し、ニカブの着用を義務付けた。不思議なことに中東では国王とは近代化を図る存在であり、革命とは中世に戻すことなのだ。サウジアラビアやヨルダンが国王を追放したら、中世のイスラム国家に戻ってしまうのではないか、という気がする。


 さて、イランではホメイニ師からハメネイ師に代わったが、同国の体制は世にも不思議なままだ。昨年、日本企業の貨物船がホルムズ海峡付近で何者かに攻撃された。このとき、アメリカは「イランによる攻撃だ」と言い、イランのロウハニ大統領は「イランは攻撃していない」と主張した。これはどちらも正しいのだろう。


 アメリカの主張はイランの革命防衛隊の攻撃だからイランの攻撃になるのだが、イラン政府から言わせれば、革命防衛隊は政府組織ではないからイランの攻撃ではないということになる。革命防衛隊はハネメイ師とイスラム教社会を守るという使命の存在だが、イランの正規軍である国防軍より強いし、装備も近代化されている。しかもイスラム教の熱心な信者で構成されているから士気も高い。


 しかし、こんな体制って不思議だ。選挙で国民から選ばれた大統領は国家元首だが、その国家元首の上に「最高指導者」とされるハネメイ師がいるのだ。この最高指導者は国民から選ばれたものではないし、国会議員から選出された人でもない。と言って、ササン朝ペルシャ時代から続く伝統的な王様でもない。むろん、地域の部族長でも、首長でもない。日本的にわかりやすくいえば、東本願寺の門跡や薬師寺の貫主のような人である。


 革命防衛隊はこの最高指導者に忠誠を誓う「私兵」である。これも日本なら「僧兵」とでも言うべき存在だ。もちろん、国家体制はそれぞれの国によって違うが、宗教指導者が国民から選ばれた国家元首の上にいて、あれこれ指示していて、問題が起こると国家を代表する国家元首が「わが国がやったのではない」ということにするのだから、他国は対応に苦慮する。


 中東の専門家によれば、「一般のイラン国民はアメリカが好きで、オバマ前大統領の伝記などは飛ぶように売れる」と言う。だが、一方で、「毎日のようにイスラム寺院に行く熱心なイスラム信者も多く、そういう熱狂的な信者がハネメイ師を尊敬し、反アメリカ」なのだという。今回、革命防衛隊のスレイマニ司令官を殺害したことにイラク国民がこぞって憤っていると伝えられているが、熱心なイスラム教徒が総出で繰り出しているかららしい。


 しかし、スレイマニ司令官殺害への反発も奇妙なものだ。殺害された現場はイランではない。隣のイラク国内である。イラクの反政府組織にいたのだ。革命防衛隊はイランのイスラム社会を守るためだけでなく、近隣の国家でシーア派イスラム教を広めることも行うそうで、スレイマニ司令官は外国で活動する謀略部隊の司令官である。今回も隣国のイラクでシーア派の反政府組織を支援するため、隣国で活動していたのである。


 例としては恐縮だが、中国の謀略部隊が日本の親中派のテロ組織を支援するために日本で反米謀略活動をしていたようなものだ。しかも、イラクはアラブ人であり、イランはペルシャ人でアラブ連盟加盟国でもない。謀略組織が隣国とはいえ、他国で活動するなどということは許されないはずだ。だが、それが通用するのが中東なのである。


 第1次大戦後、イギリスとフランスが定規で線を引き、ここはヨルダン、ここはイラクで、その横はシリアなどと区分けしたことで国境線ができたものに過ぎないからだろうが、どうやら中東では国境というハッキリした意識がないらしい。ヨーロッパに大挙して流入した移民も、もともと国境意識が低いことも原因にあるかもしれない。


 そうした原因にひとつには、イスラム教は継承を巡ってスンニ派とシーア派に分かれたが、その後、変革することがなかったことにあるような気がする。


 キリスト教ではローマ教皇がヨーロッパ各国の国王より上にあり、ローマ教皇に反発すると破門されてしまい、国王は土下座して許しを乞うしかなかった。が、宗教改革が起こり、ローマ法王の絶対的権威はなくなった。それどころか、イギリスでは離婚を認めないローマ教皇に反発し、英国国教会というプロテスタントに変えさせたほどだ。


 日本の仏教でも法然、さらに親鸞がそれまでの貴族の仏教を庶民の仏教に変えさせた。さらに、後白河法皇が意のままにならないと嘆いた神仏の神輿に平清盛が矢を射かけて宗教の権威を失墜させたし、織田信長は延暦寺を焼き討ちし、一向一揆を徹底的に打ちのめした。こうした内からの改革と俗世界の領主の弾圧で日本の仏教は変わった。


 だが、イスラム教では変わることがなかった。ムハンマドの教えそのままだったことが「指導者」の登場、さらに指導者の指示で中世社会に戻るようなことになってしまうのではないかという気がする。今、誰しもイノベーションを口にするが、やはり宗教も改革していくことこそ必要なのだろう。(常)