政府のチャーター機第1便が日本人帰国希望者の待つ武漢に向かっている、まさにその時間帯に、NHK総合『クローズアップ現代+』で、『新型ウイルス肺炎 封じ込めはできるのか』が放送された。武漢への渡航歴がない、奈良県のバス運転手感染のニュースも入ってきた状況での緊急報告だ。
◆「感染鎖」と「感染源」を断つ
主な内容を以下にまとめた。
(1)感染拡大の経緯と問題点
北海道大学・西浦博教授(数理モデルによる感染症対策の専門家)は、中国当局発表の患者4,515人(1月28日時点)に対し、実際には4倍の約2万人と推計。また、武漢封鎖までに30万人以上が国外へ出たと試算。「自分が感染したかもしれないことさえわかっていない人が一定数、渡航を続けている」とした。
1月中旬に武漢の病院を訪れた台湾保健当局・洪敏南医師は、隔離病室の絶対的不足、当初の見込み違い(「解熱後10日経てばウイルスは体外排出され他人にうつることはない」と考えていた)、厳格な監視体制の欠如(検査を行わず帰宅させるなど)を指摘。
(2)新型コロナウイルス(nCoV)と感染の特徴
群馬大学・神谷亘教授は、「コロナウイルスの遺伝子の長さはインフルエンザの15倍と、ウイルス最長レベル」「(宿主内で)遺伝子のコピーミスを起こしやすい」と解説。変異株のうち強いものが選択されていく可能性を示唆。
また、香港の研究チームが新型ウイルス肺炎で「感染していても症状がないケース」を報告したこと、中国保健当局も、比較的多いという軽症者を「隠れた感染者」「歩く感染源」と称したことを紹介。
スタジオの田代眞人氏(元国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター長)は、「最初の段階で発生局所での封じ込めができれば、世界中に広がらないで済んだがタイミングを逸した」、奈良のバス運転手に渡航歴がないことが確認されれば「国内でのヒト-ヒト感染拡大の入口にいる」とコメント。さらに、「SARS(重症急性呼吸器症候群)は下気道感染が多かったが、新型ウイルス肺炎は喉・鼻など上気道の症状も見られること」に関して解説を求められ、「日常会話での飛沫でウイルスが拡がる可能性がある」とした。
さらに番組内でNHK記者からは、1月28日までにわかりつつある事柄が示された。
【感染力の指数:患者1人からウイルスが何人にうつるか】WHO(世界保健機関)によれば、はしか12~18、風疹5~7、インフルエンザ2~3、SARS 3前後に対し、nCoVは現在のところ1.4~2.5。
【ヒト-ヒト感染の拡がり】WHOは「4次感染」があったと報告。
【感染率と致死率】SARSの感染は限定的だが感染すると致死率は高い。新型ウイルス肺炎は感染がSARSより多いが、(今のところ相対的に)致死率は低そう。
(3)封じ込めは可能か
SARS流行時にWHOで対策の最前線にいた東北大学・押谷仁教授は、封じ込みの条件として「感染の鎖を断ち切ること」、そのために「スーパースプレッディング現象を防ぐこと」を挙げた。
「スーパースプレッディング」は免疫状態が悪く、ウイルスを多量に排出する人が、閉鎖環境で他人と接触するなどして起こるとされる。SARSはこの現象の連鎖で感染が爆発。その際に各国がとった「感染者と接触した人を見つけ出し、隔離する」策の成功例として、「該当者の外出禁止」に加え「監視カメラで自宅にいることのチェック」を徹底したシンガポールが取り上げられた。
さらに「感染源を断つ」観点から、北海道大学・高田礼人教授(野生動物からのウイルス感染に詳しい)は、中国で食用の野生動物を血や内臓が飛び散るのもかまわず素手でさばく映像を見ながら、「野生動物には一般に何らかの病原体がいると考えるべき」と指摘。「家畜の生産など、肉類の(衛生的にも適正な)供給ができるよう世界的サポートが必要」とした。
(4)中国では
NHK中国総局の記者から、武漢市長が「封鎖までに約500万人が市外に出たとみられる」と明らかにした、歴史的封鎖をもってしても「もう間に合わないのでは」といわれている、封鎖の効果がわかるのは潜伏期を考慮すると2月上旬頃、などの情報が紹介された。まだ大きく表出はしていないが、情報統制に対する国民の不満はくすぶっており、「中国政府への信頼が大きく損ねられていることは間違いがない」とも。
実はかなりインパクトがあったのは、番組終了間際の田代氏の言葉だ。「さらに最悪の事態に進展する可能性がある」「その場合には、政府によるさまざまな規制がかかってくる」「それに対応できるようきちんと心構えをする必要がある」。
◆「最悪の事態」を直視して備える
番組を見て感じたのは、わが国が新型ウイルス肺炎に適切に対応できるかどうかという不安。対応のキーワードは「IHR(国際保健規則)」の根底にある「オールハザードアプローチ」だ。
2003年のSARS対応では初期に発生国・中国からの情報提供が不十分だったため、感染拡大防止策(病原体の同定、検査・治療の開発、患者隔離、個人防護、渡航制限の徹底など)が遅れた。
その反省に立ち、WHOは2005年にIHRを改正。対象疾患を従来の3疾患(コレラ、ペスト、黄熱)から、全ての「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC:Public Health Emergency of International Concern)」に拡大し、24時間以内に包み隠さず通告することを加盟国に義務付けた。
ただ、「感染症の早期封じ込めによる公衆衛生上の利益は世界が一致して受ける」というIHRの理念とは裏腹に、通告インセンティブは高くない。2009年、メキシコは新型インフルエンザ発生を公表したにもかかわらず、旅行客や輸出の減少という憂き目にあった。今回の新型肺炎でも、隠蔽云々とまで言わずとも、「封じ込め策」と「経済への影響の最小化」のバランスは、難しい課題となっている。
このアルゴリズムに従うとどう考えても「通告」?
「オールハザードアプローチ」は、近年の国際的流れだ。多くの人に健康被害をもたらす可能性がある「ハザード」は、病原体、化学物質、放射性物質や自然災害など多種多様で、事前に個別のマニュアルを作ることは不可能だ。特定の事態を想定して対策・準備するのではなく、どんな事態にも柔軟な対応ができるようにする必要がある。そこで、イベントの検出からリスクアセスメント、対応、再評価に至る共通のサイクルを構築し、健康危機管理を行うという考え方である。
クロ現に登場した押谷氏は、「日本の対策はわかりやすく対応しやすい事態しか想定していない」「長期的な視点でのリスクアセスメントができていない」と苦言を呈し、多職種の医療関係者や保健行政・実務担当者等が集まる日本公衆衛生学会の「感染症事例のリスクアセスメント研修」等の形で「オールハザードアプローチ」の普及を進めてきた。
「オールハザードアプローチ」による健康危機管理
私たちは、まさにこのリスクマネジメントサイクルの渦中にいる。刻々と変わる状況をみながらサイクルを回し続けねばならない。1月30日午前9時現在の情報で、国内感染者については濃厚接触者を特定し検査、チャーター機で中国から帰国した日本人のうち入院非該当者も宿泊施設等に隔離・観察、nCoV検査体制を国立感染症研究所のみでなく地方衛生研究所に拡大等は、「感染鎖を断つ」観点で希望が持てる国内対応だ。
しかし、気になるのは、SARSでも発生からほぼ収束するまでに1年以上を要していることだ。これから最たる「マスギャザリング」であるオリパラ期間までに収束などできるのか。「被害の幅」を最大に近くとると「国際的な感染拡大防止のためオリパラを延期または中止」「感染制御不能となり拡大防止のために国民は不要不急の外出禁止」などの決断に迫られる可能性もゼロではない。行政はもちろん私たちも「思考停止」に陥ることなく冷静かつ積極的に対応しなければならない。
日本で赤い感染者数が拡がらずに済むか今が正念場
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本島玲子(もとじまれいこ)
「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。
医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。