●交じり合えるか医師の裁量権とナース・プラクティショナー


 今回は日本看護協会が導入を主張しているナース・プラクティショナー制度を見ていくことにするが、そこに入る前に医師、看護師、介護福祉士の役割に関する本質的な解釈の揺れを確認しておきたい。これらの職種の役割は、法的根拠も「働く場所」が違うのももちろんだが、「働く現場」の落差はそれぞれの間でもかなり違う。患者、入所者、支援や介護を受ける人の「日常性」と「非日常性」も大きく違う。


 単純に言ってのければ、そこにある根本的な違いは患者等の生活の支援への関与の濃度の違いということができるのではあるまいか。前回も触れたが、看護協会は昨年7月のヒアリングで「看護は『医療』と『生活』の両面から患者を捉え、療養生活を支えている。患者の最も身近にいる医療専門職として、国民に必要な医療がタイムリーに提供されるよう今後はさらなる役割と責任を引き受けていく」と基本的スタンスを述べ、「医療と生活」をサポートする職種との位置づけを明確にしている。


 療養と生活の場という両義を合わせて担うのが看護師だとすると、医師は療養(治療)のみを担い、看護師が両方を担い、介護福祉士は生活支援を担う。そういう図式であり、実は社会も感覚的にそれぞれの職種をイメージしているのではないだろうか。


 患者や要介護者の切り分けの問題は1986年の医療法改正頃にも大きなテーマとなった。このときは職種の問題ではなく、「施設」のカテゴリーに関する問題だった。背景にあったのは病院への社会的入院であり、まさに療養と生活の場の明確な線引きを求める意見と、社会的入院が必要な状態の改善を求める意見がせめぎ合った議論が展開された。


 この問題が医療法の数次の改正、診療報酬による誘導、介護保険制度の導入という政策展開を呼び込んだのは事実。しかし、それによって切り分けられたはずの「療養」の現場と「生活の場」が、本当に明確に切り分けられたわけではない。人間が生きている以上、療養に生活が併存するのは当たり前なのだから、そこを分けるなどという議論はむろん無理がある。もっと言えば、療養も含めて人の「暮らし」がある。


 しかし、逆説的にみると、こうした人の暮らしのなかで、健康であったときは何でもないことが、ひとたび「非日常」の病んだり、障害を起こすと、暮らしに「療養」と「支援」と「介助」が必要になる。そして、制度的にも、その制度を支える考え方のバックボーンになっているのが、療養(医療)が最上位で、生活支援・介助はその下だというヒエラルキーである。


 そのため、医療を担当する医師がそこでは最上位で、コントロールする統帥者であり、その裁量に従って看護師がおり、さらに介助だけを担う介護福祉士がいるという階層付けへとつながっている。むろん、医師はその裁量権を有するがゆえに、すべての責任を受け持つ。


 そうした前提を置いて、健康な人の「日常」を思い出してみると、病気ではないから医師は存在しない。しかし「日常の範囲」のなかでも、小さなけがをしたり、吹き出物に悩んだり、二日酔いになったりする。なかには受療しなければならないサインもあることにはあるが、指を切った程度で救急車を呼ぶような人など除けば、多くの常識的な生活者にとってそれらは日常的な「暮らし」のなかにある1コマだ。多くの一般的な家庭では、絆創膏はあるだろうし、虫刺され薬、ワセリンや保湿剤などもあるだろう。


 そうした「日常的な生活」にあるものまで、患者になったとたんに「医師の指示」がなければ使えないという理屈に、納得できるだろうか。医師会はこうした考えを一笑に付すことはわかりきっている。自分たちが言うメディカル・コントロールとはそんなことを言っているわけではないと。しかし、何か問題が起これば杓子定規の世界が動き出す。医師に裁量権があるから医師に全責任がある、しかし医師の指示のもとでなく他職種が指示したことに責任はないと。であれば、医師の裁量権は医療に限定し、「日常の暮らし」にある生活の場での判断には関与すべきではないはずだ。


 医行為が「日常の暮らし」にあるものも含めて、すべてを指すように表現する必要があるのだろうか。むろん、これから考えていく看護協会のナース・プラクティショナー導入論は「非日常」の診療現場で、一部の医行為を看護師にも認めよという話であり、ここまで展開してきたロジックとは方向性はまったく違う。しかし、医療という非日常のなかにも日常の暮らしは存在するのであり、それはもともと切り分けられないのであり、切り分けるという前提で仕組みを語っていくことは、実は超現実的であると筆者は言いたいのだ。


「日常的な暮らし」には「死」も含まれると筆者は考える。しかし、医師も看護師も大半は死は非日常で、医療の範疇だと考えている。だから、死生観の論議でも一部の医師が上から目線で語るのだ。このテーマは別の場所で論考したい。


 筆者はそうした基本的な観点からタスクシフティングの議論を眺めていきたいと思う。


●“タイムリー”を連呼する意味


 日本看護協会のナース・プラクティショナーの主張をみていく。ここでは昨年7月の厚生労働省ヒアリングで看護協会が説明時に使った資料をもとに紹介してみよう。資料は、医師の働き方改革という基本的なテーマを意識して、「医師から看護師へのタスクシフティング」というテーマを示し、基本として「看護師が判断可能な範囲の拡大」を前面に打ち出している。


 その理由として、「最も身近な医療職である看護師が判断可能な範囲を拡大することで、『患者へのタイムリーな対応』と『医師の業務の効率化』が両立」することを挙げ、「すべての看護師を対象とした、タイムリーに必要な検査を判断、薬剤を用いた療養上の世話をタイムリーに提供」を謳い、そのうえで「ナース・プラクティショナーによる医療提供」へと主張を展開している。


 ナース・プラクティショナー導入に関する提案の前提としては以下のような現状認識をチャート付きで解説している。


「すべての医療提供の判断・指示を医師が担っている。今後、医療ニーズが増加する中で医師がすべてに対応する仕組みのままでは、医師の業務量はさらに増加し、タイムリーな対応も困難になる。病院勤務医の中には介護施設等で療養する患者の主治医になっている場合もあり、院外の訪問診療、往診施設や訪問看護師からの報告・連絡・相談対応及び指示出しにも時間を割いている。これらの対応が困難な場合には、外来受診や救急搬送となり、病院の勤務量が増加する」


 ちなみに、この資料では、厚生労働省の「在宅医療にかかる地域別データ集」に基づいて、全国平均で32.1%の病院が訪問診療を実施しているとのデータもつけた。


 さらにヒアリングではパワーポイントで事例による解説も示し、介護施設等での医療提供の現状は、「患者の近くにいる看護師が施設外の医師と協働して医療を提供」しており、医師が急変時に対応できず、救急外来に搬送することがあることを訴える。そのうえで、「在宅の慢性疾患管理等の医療提供をシフト」してはどうかという具体的提言に入っていく。


 看護師の活用に関しては、前回紹介した「特定行為研修制度」があるが、基本的に看護協会は「制度の活用を推進する」スタンスは明確にしているものの、ナース・プラクティショナー導入ほど力が入っていない印象がある。それは特定行為研修制度が、看護師の専門性を高めて認定制度の導入となっているものの、本質的に医師の指示という体系から離れるものではないことに要因がありそうだ。


 それでは、そのナース・プラクティショナーの考える「医行為」とは何だろうか。(幸)