今年は暖かい冬で京都市内もまだ積雪がない。例年なら節分あたりが一番寒いはずで、吉田神社の節分祭は、イワシの焼ける匂いをききながら雪を踏みしめて参道に立って、鬼が走り降りてくるのを待ち受けることが多かった。そんな厳冬期の大学構内や社寺の庭の雪の下で緑の葉を蓄えているのがジャノヒゲである。リュウノヒゲというのも同じものだ。


 お庭のいわゆるグランドカバー、つまり盛り土の縁とか植え込みの境界線などに、その植物を愛でるためではなく、境界線だったり盛り土が崩れるのを防止するためだったりという機能性を帯びて、さらに、人間の邪魔にならなくて、でも一年中しっかり存在して、少々踏まれても枯れない、そんな基本的資質を要求されて選ばれるのがジャノヒゲである。最近は葉の長さが短いものが好んで植栽されるようである。


 特に気にもかけずに毎日視界の端にある、という感じで過ごしてしまうと、一年中変化のない植物のように見えるかもしれないが、ちゃんと花が咲いて実がつく。いずれも一年中ふさふさの葉の茂みの下で起きるので、特に花が咲くのは、雨降りが多い頃である上に短時間なので殆ど気付かれないようである。でも、実はついている時間が長く、寒い時期ですぐに萎むこともないので観察してみられてはいかがだろう。今、でも見つけられる。


ジャノヒゲの花と蕾。下向きに咲く上に葉の茂みの下にあるので、さらに花期が梅雨時期と重なっているのでほとんど気づかれることがない


 葉をそうっとかき分ければ、真っ青で光沢のある、まん丸の実が地面近くにいくつかついていないだろうか。冬枯れの色彩が乏しい視界に、濃い緑の葉に濃青色のぴかぴかの粒は、なんだか宝石を見つけたみたいで見ているだけで嬉しくなるのは筆者だけであろうか。つい、欲しくなってちょっと触ると、たいていぽろっと落ちてしまう。


一見、葉だけに見えるがこの下に季節によって花や青い実がある


 青い粒は意外と硬くて、指でつまんだくらいでは潰れないし、皮もとれることはない。少し爪を立てて皮を剥くと、真っ白な中身が出てくる。ツタやイヌホオズキやらの同じくらいの大きさの黒い実は、見えやすいところにつくので摘んで潰して遊んだりしたものだが、それらの中身が濃青色や濃紫色の汁っぽいものだったのに比べると、ジャノヒゲの実の中身が真っ白で硬いのはかなり変わりだねのように思われる。


 これは、ジャノヒゲの実が果実ではなくて、むしろタネに相当する部分だからなのだが、興味のある方は植物分類学や形態学の教科書を開いてみられることをお勧めする。青い実が茎についている付け根をよく見れば、不規則に裂けて縮んだような、もともと青い実を包んでいた組織の残骸が、萼のようについている。初めは小さかった実が大きくなっていくにつれ、一番外を包んでいた皮が破れて付け根に残り、中身が大きくなった姿が青い実なのである。


葉をかき分けて出てきたジャノヒゲの青い実、付け根に皮が残る


葉の下に実が垣間見える


 ついつい地上部のことばかり書いたが、ジャノヒゲの薬用部位は地下部である。長い根の途中がところどころ紡錘形に膨らんでいて、この膨らみの部分を集めて麦門冬という生薬にする。漢方では、滋潤(渇きを潤す)、鎮咳・去痰、滋養などの作用を期待して、麦門冬湯や釣藤散などの処方に配合して使われる。咳が出る症状があるとき、近代医薬品としてはアルカロイド成分の入った薬で中枢神経系に作用させて鎮めようとするが、漢方は咳が出ている原因によって薬を使い分け、中から潤すことで痰の排出を促し、咳を鎮めようとする場合に麦門冬が入った処方を使うことがある。


 感染力が強いウイルスが原因の病気が流行している時期に、人混みで近くにいる誰かに咳をされると、咳をする誰もがウイルス病のキャリアではないと知りつつも、非常に嫌な気分になるものである。咳が出るご本人も、他人に不快な思いをさせるのはいい気分ではあるまい。日本の冬は空気がよく乾いていて、その乾燥が刺激になって咳が出る場合もあるし、慢性の呼吸器の不調を抱えている場合は年中、乾いた咳がしつこく出るような場合もある。そんな場合に、他に重大な病気が隠れていなければ、潤して咳を鎮める麦門冬入りの漢方処方がよく効くようである。


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伊藤美千穂(いとうみちほ)  1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。