●論点が違うナース・プラクティショナー
前回に続いて、日本看護協会がタスクシフティング論議のなかで基本的な主張に置いている「ナース・プラクティショナー」の導入について、同協会が昨年7月に厚生労働省ヒアリングで説明した内容を押さえていく。
ヒアリングでは、医師の働き方改革という基本的なテーマを意識して、「医師から看護師へのタスクシフティング」というテーマを強調、基本として「看護師が判断可能な範囲の拡大」を前面に打ち出していることは前回にも触れた。その理由は、「最も身近な医療職である看護師が判断可能な範囲を拡大することで、『患者へのタイムリーな対応』と『医師の業務の効率化』が両立」であり、「すべての看護師を対象として、タイムリーに必要な検査を判断、薬剤を用いた療養上の世話をタイムリーに提供」の実現をするのが、「ナース・プラクティショナーによる医療提供」だというものだ。
さらにナース・プラクティショナー導入に関する提案の前提として、以下のような現状認識も示した。
「すべての医療提供の判断・指示を医師が担っている。今後、医療ニーズが増加する中で医師がすべてに対応する仕組みのままでは、医師の業務量はさらに増加し、タイムリーな対応も困難になる。病院勤務医の中には介護施設等で療養する患者の主治医になっている場合もあり、院外の訪問診療、往診施設や訪問看護師からの報告・連絡・相談対応及び指示出しにも時間を割いている。これらの対応が困難な場合には、外来受診や救急搬送となり、病院の勤務量が増加する」
この資料では、厚生労働省の「在宅医療にかかる地域別データ集」に基づいて、全国平均で32.1%の病院が訪問診療を実施しているとのデータもつけた。さらに事例解説も示し、介護施設等での医療提供の現状は、「患者の近くにいる看護師が施設外の医師と協働して医療を提供」しており、医師が急変時に対応できず、救急外来に搬送することがあることを強調して、「在宅の慢性疾患管理等の医療提供をシフト」してはどうかという具体的提言に入っている。
さて、このナース・プラクティショナーで看護協会が考えている「医行為」とは何だろうか。
●「医師は院内業務専念」が持つ意味
端的に言えば、ナース・プラクティショナーが守備する範囲は、その主張をもとにすれば「在宅の慢性疾患管理」、あるいは「在宅の一般的な疾患」の管理である。「慢性疾患管理」等と表現されているが、その点の曖昧さは、ナース・プラクティショナーが現実化する段階で論議を集約すればいいということだろうと推量される。
ヒアリング資料での「医療提供」は、「医師の診断」のあるケースとないケースでその役割や対応を分けている。在宅では、医師は院内業務に、看護師は在宅で医行為を分担しようという認識もみえるが、「医師の院内業務専念」は、医師会をはじめ、医師側にはやはり異論の大きな点かもしれない。すでにナース・プラクティショナーが同意を得にくい踏み込みをしている印象が筆者には強い。しかし、高齢化の進行のなかで、社会には受けやすくなる土壌が大きいと判断していることは窺える。看護協会が味方につけたいのは世論だが、医師頼みの社会的常識は簡単に覆るだろうか。
まず、「医師の診断あり」のケースから見ていこう。在宅では、患者の状態を看護師がアセスメントしていることが前提。アセスメントについては、「診断から病状の変化を予測し、全身状態の変化をタイムリーに把握」することだと説明されている。そのうえで、「患者の状態が変化」した場合にどのように対応するかを2通り示している。
「あらかじめ想定された変化」の場合は、「(医師の)事前指示か手順書で指示された診療の補助」をすることとし、「想定されていなかった変化」の場合は、「医師と連絡をとって対応し、医師に指示された診療の補助」をすることと分けている。ここでいう「診療の補助」は、「現在、看護師が対応可能な範囲」と説明されているが、「対応可能な範囲」がどのレベルなのか具体的ではない。看護師もがんや感染症などの専門化する状況があるうえ、制度化されている特定行為研修というレベルもある。看護師が対応可能な範囲を医行為までの拡大の前提とするなら、看護職のレベルの指標も示していく必要があるかもしれない。ただ、その点については、具体的ではないが、ヒアリング資料では言及もみられる。
医師の診断があるケースでも、「想定されなかった変化」があった場合と、「医師の診断がない」ケースでの対応は実は同等と説明されている。その前提として、「系統的な教育と役割発揮を認める仕組みを構築することで、看護師が医療提供の判断を一定程度担うことができる」と述べている。わかりにくい説明だ。「系統的な教育」のうえで「役割発揮を認める仕組み」を構築するのか、教育と役割は同時に成立しているのかがよくわからない。
医師の診断ありの場合は、医師の指示が重視されていたが、「診断なし」の場合は、「看護師の判断で対応する」ことが明言されている。
●必要な環境は「医師不在」
ここまでを整理すると、「在宅で医師の診断がついている場合」は、医師の事前指示か連絡を必須とするが、「医師の診断がない在宅」は、「看護師の判断」が入ってくるということである。どこか極めて限定的なようだが、看護師が一定の医療行為を「判断できる」というのはやはり画期的な提案であることは間違いない。
この「看護師の判断」について、資料では「医師と同じ思考過程で、主訴や症状より緊急性の高い疾患からルールアウトし、診断や必要な治療を導く」と説明する。このルールアウト、除外された「一般的な疾患」について看護師が治療法の判断と実施、つまり処置や薬剤処方ができるということになる。ルールアウトできなかった疾患は、必要時は応急的な処置はするものの、「専門医につなぐ」としている。
単純に読み込んでいけば、医師が関与するほどでもない在宅での疾患は看護師でも十分対応できるのであり、そのためには「系統的な教育と役割発揮を認める仕組み」構築が必要ということになる。系統的な教育はその前提で必要なようにも思うが、「医療提供の判断を一定程度」担うという表現と対になっているところをみれば、現在の看護職レベルでの対応が可能とみていると解釈できる。
さらに気になるのは、ルールアウトしなかった「その他の疾患」は、「専門医」につなぐとしていることである。診断ができるということと「専門医」につなぐというのは、合理的なようだが、矛盾するとみることもできる。診断がつくから専門医につなげるのか、診断できないのならどうやって専門医を選択するのだろうか。
ナース・プラクティショナーは在宅だけではない。ヒアリングでは「病院でも活躍できる」と説明している。「治療方針を共有し、医師が不在時の患者の状態変化にも対応できる」との主張を、状態のアセスメントの例示を説明しながら述べているが、この説明は院内では常態化していることを制度的に推認するとの印象を拭えない。看護師は院内ではすでに、ナース・プラクティショナー的対応をしているとみることができる。
このことは何を意味しているか。つまり、ナース・プラクティショナーというシステムが必要な環境は「在宅」であり、「医師の不在」である。そのニーズは医療過疎の地域にあることは理解できる。ナース・プラクティショナーが必要な背景には、タスクシフティング、いわば医師の業務負担の軽減とは違う要素があることを論点とすべきなのである。つまり、医療過疎地域ではナース・プラクティショナーの存在を公的に認めること、「開業」を認めるかどうかが論点となるべき問題なのだ。(幸)