今回から、いわゆる「医療特区」に関して、その動向と課題、問題点を探っていきたい。特区は21世紀に入ってから政策として本格化した。その前には、この連載でみてきたが、MOSS協議のように、日米経済交渉の個別化と、それらを包含した包括経済協議が進み、日米間の市場開放交渉、関税分野、非関税障壁に関する交渉が進んできたのは周知の通りである。そして2001年以後は、そうした個別分野の交渉とその背景に関する視点を焦点化する包括交渉の結果を前提に、「包括」の実証段階へと進んできた。そのひとつが、21世紀以後のどの政権も踏み込んだ「戦略特区構想」である。
その結晶の論理的背景として、あるいは根拠として推進の旗艦的役割を果たしたのが、市場原理主義であり、構造改革路線、小泉路線がその嚆矢だ。実証するには成果が必要で、特区政策は改革のテンポをアップさせる手段として登場した、といえる。地域限定的に規制緩和を行い、その成果を検証し、いずれは全国規模にするという狙いがあるが、その底意が透けるだけに、特区の構想自体、あるいは特区の進展状況には注意が払われるべきであり、TPP交渉の露払いといっても過言ではない分野も当然多い。
特に医療特区では、自由診療分野の特例的拡大、国内免許を持たない各種医療職種の外国人活用、営利事業者による医療機関経営などへの「スタディ」が実施されるか、構想されている。今回は、昨年3月に日本医師会特区対策委員会がまとめた、「特区の現状と課題及び対応について」と題された報告書を土台に、特区とその制度について概観する。
●試験的、限定的なニュアンスを振りまくが
特区には、構造改革特区、先端医療開発特区(スーパー特区)、総合特区(国際総合戦略特区、地域活性化総合特区)、復興特区、国家戦略特区(アベノミクス特区)がある。小泉政権下で生まれた構造改革特区を皮切りに、その後の政権は与党の違いに関係なく、構想を引き継ぐような形で進められてきた。概して特区のコンセプト、具体的プランは地域に出させるとはいえ、いずれも本質的な目的(規制緩和)を逸脱しないことが前提であり、その上で承認し許諾し、一定の補助を出すという点ではトップダウンであり、地域創生という理念とは矛盾する。日医報告書の前文から、本質的な問題を引用する。
「2002年に小泉政権下に創成された総合特区では、規制緩和だけでなく、(その後)税制・財政・金油状の支援措置も講じた上で、日本経済の成長や地域の活性化を促進させることを目標として掲げており、医療分野に関しては株式会社の医療本体への参入、国際医療交流、混合診療解禁などの要望が挙がっている。また2012年の野田政権下における『日本再生戦略』では、2008年の麻生政権下の先端医療開発特区(スーパー特区)を踏まえ、新たに行政区域単位と異なる機関特区の創設を提案した。これは法律の改正ではなく閣議決定による規制緩和であるため、創設しやすい特区が行政区域単位を超えて広まり、特区が本来の試験的・限定的なものではなく広域化する可能性を持つものとなり、このような広域化した特区において改革に失敗した場合、重大かつ不可逆的なダメージを国民に与えるかもしれないという大きな欠点を持つものへと変容していった」
この指摘で重要なのは、特区という言葉が与える国民へのイメージに関するものだ。「特区」だといえば、きわめて限定的でかつ、社会全体への普遍化には一定の規制がかかっているとのニュアンスが与えられる。そして、「改革に失敗した場合」と但し書きしながらも、不可逆的なダメージを国民に与える可能性にも言及している。特区は、政府のセールストークは「成功」が前提になっている。国民を意図的に騙そうとしているという意味ではなく、将来の社会モデルを先取りしているという点で、政府自体も「成功モデル」を信じている。その上で、政策が社会全体に広げられた場合、それ自体が支持に直結することを疑ってはいないのである。だから、失敗した場合の想像力に欠け、そしてそれによってもたらされる政策不信への大きさを、医師会などが懸念しているとみるべきであろう。
●トップダウン、産業側要請が強まる気配
2013年に示されたいわゆるアベノミクス特区(国家戦略特区)は、産業競争力会議から打ち出された政策ということで、より政府の推進エンジンが強化されている。報告書の指摘を読んでみる。
「(アベノミクス戦略特区は)大胆な規制・制度改革を行い、こうした制度改革に応じた税制措置を講じ、インフラの整備も組み合わせようとしている。この特区の問題点として、構造改革特区の採択過程に関係省庁が関与し得たのに対して、国家戦略特区は国(内閣府)からのトップダウン方式であり、国から地方へという時代の流れに逆行することが挙げられる。
また従来の特区とは異なり、地域だけでなく分野や体制を対象とする『バーチャル特区』」という概念も導入し推進しようとしている。これはいわゆる『飛び石地区』として危惧していたもので、例えば『iPS特区』を、『バーチャル特区』として指定すると、東京・京都・神戸等の指定地域だけでなく、他の地域にあっても、iPSを研究している機関ならば共通して規制緩和や財政優遇の対象となるというもので、国全体の規制緩和に結びつくおそれがある」
最終的に、国が進めているのは特区をバネにした「国全体の規制緩和」であることを懸念しているわけだが、当然の懸念であり、実際は、特区の目的はその懸念そのものであることは論を俟たないということができる。この前文は、こうした指摘の上で、医療分野における特区構想は、日本の医療制度を根底から揺るがしかねない多くの問題を含んでいる、と断じている。
特区構想が、基本的に日本の医療制度全体の改変序曲であることを改めて示し、また国民皆保険制度の堅持を主張の基本とする日医としては、当たり前の姿勢といえる。産業寄りの経済政策をアベノミクスとして誇示し、政府が一定の成果を強調する現状では、日医にとってかなり厳しい展開も予測されるが、農協政策をスタディにして怯んでいる状況ではないかもしれない。
特に、こうした現政権の国家戦略特区構想が、TPP以後の規制緩和の包括的な政策手段のひとつとして、政府がにらんでいると推定できることに注意を払う必要がある。農協政策もその包括手段の一環であり、医療規制緩和には特区がひとつの手段とすれば、わかりやすいのではないか。
しかし、一方でSTAP細胞問題で揺れた神戸の理研のように、特区構想はもろい側面もあるし、地域には冷淡な対応がないわけではない。iPSも、事業化のメドがついているとは言いがたい。また、米国のシリコンバレーのように、バイオ産業の進展、IT産業の成長が富の集中化を生み出したという負の要素も表面化してきた。アベノミクス自体が、トリクルダウン効果を生み出しているとはお世辞にもいえない現状で、富の公平な分配の象徴として、医療制度が国民の砦となる可能性も大きい。
●徐々に具体化し、広域化する特区の中身
ここで、これまでの医療分野に関する特区構想をお浚いしてみよう。
○構造改革特区(2003年)
いわゆる規制緩和をダイレクトに狙った特区で、小泉政権時に、市場原理主義の推進者が旗を振った。もっとも有名なのは神戸市の「先端医療産業特区」だ。神戸市の医療産業都市構想をそのまま特区に採用した。そのほかに、高度美容外科医療の整備を目的にした「かながわバイオ医療産業特区」もある。自由診療の医療産業振興を狙いにした。医師臨床研修推進特区として北海道留萌市、神奈川県小田原市も手を挙げた。
○スーパー特区(革新的技術特区)(2008年)
麻生政権下で政策化された。医療関連では、先端医療が中心で開発特区が選択された。iPS細胞応用、再生医療、革新的医療機器、革新的バイオ医薬品などの開発がラインナップされているが、診断薬や診断機器開発も含まれている。
○総合特区(2011年)
民主党政権下では、特区戦略がとにかく重要視された。政権の意図がわかりにくく、要するに、民主党政権の迷走ぶりの象徴といえるかもしれない。スパコンに関する事業仕分けがテーマになったことも当時の話題となった。構造改革特区のような規制緩和の特例だけでなく、税制・財政・金融上の支援措置も盛り込み、国全体の成長路線を示す目的もあったとされる。
特区は、国際競争力の強化に向けて産業を集積させる「国際戦略総合特区」と、地域資源の有効活用目指す「地域活性化総合特区」の2分野に分けて公募した。国際戦略総合特区の医療関連では、「つくば」、「京浜臨海部ライフイノベーション」、「関西イノベーション」が国際戦略特区として認定された。関西では、大阪の彩都を中心にした医薬品開発、引き続き神戸市の医療産業都市が包含されている。これを契機に、関西では大阪と神戸間の協議体も発足した経緯がある。
一方、地域活性化総合特区では、かなり多様な医療関係分野のプランが盛り込まれた。①健幸長寿社会を創造するスマートウェルネスシティ(新潟市など全国9つの自治体、大学など)②ふじのくに先端医療③国際医療交流も拠点作り「りんくうタウン・泉佐野」④尾道地域医療連携推進⑤かがわ医療福祉⑥東九州メディカルバレー構想⑦先導的な地域医療の活性化(ライフイノベーション)⑧柏の葉キャンパス特区⑨みえライフイノベーション⑩岡山型持続可能な社会経済モデル構築——である。
これらを個々にみていく余裕はないが、国際医療交流では外国人医師の採用に途を開くなどの構想が盛り込まれ、一部に地域医師会には看過できない内容もかなり含まれている。ただ、民主党政権の崩壊とともに、こうした特区構想は中断状態にあるものが少なくない。
このほか、民主党政権時には東日本大震災があったこともあり、被災地における医療介護を確保することを目的とした復興特区も仕組みとしてできた。被災地の医療を確保するため、一定の限定的な規制緩和を促したもの。ただ、東北メディカルバンク・メガバンク構想といった地域住民を対象にしたコホート研究も盛り込まれ、医療関係者には異論も含まれる事業もある。
国家戦略特区(2013年)は、現状の特区問題を包含しており、医療関連特区の問題点とを総合的にみていくなかで、次号で検証したい。(幸)