週刊文春が約3年ぶりに完売になったという。衝撃のスクープ記事『妻は佐川元理財局長と国を提訴へ 森友自殺財務省職員 遺書全文公開 「すべて佐川局長の指示です」』がそれほどの大反響を巻き起こしたのだ。ネットニュースで流れたダイジェスト版に飽き足らず、“国家に殺された”赤木俊夫氏の無念の遺言を一言一句読みたいという人々の情念が、多くの部数につながったのだろう。


「元ブンヤ」の嫌な習性として、記事そのものの詳細にもまして、「誰が、いかにして書いたか」というスクープの内幕を知りたくなってしまう。そのことは記事の序盤にあっさり書かれていた。取材・執筆者は大阪日日新聞の相澤冬樹記者。もともとはNHKの社会部記者として森友事件を追っていたベテランだが、2018年、その職を解かれたことを不服としてNHKを退職した。政権への忖度が進むNHK内部で、森友に執着する氏の姿勢が疎んじられたと言われている。いきさつは氏の著作『NHK vs. 官邸』に詳しい。


 意外にも相澤氏は一昨年11月、まるで面識のない赤木氏の夫人に呼び出され、故人の「手記」を見せられたという。夫人は「NHK上層部と対立し、離職したジャーナリスト」という経歴から相澤氏に目星をつけ、大切な資料を託そうとしたのだ。あいにく夫人の受けた相澤氏の第一印象は、必ずしも全幅の信頼を寄せられるものではなく、紆余曲折の末、「手記」の公開で合意したのはこの3月、1年4ヵ月後のことだった。


 正直なところ、前掲書を読んでいた私は、相澤氏をさほど評価していなかった。ただそれは、あくまでも取材モノの本を書く力、という意味合いの話であり、優秀なジャーナリストには、文章はイマイチでもスクープ発掘に特化したスペシャリストもいる。相澤氏は夫人との初対面の際、さすがに情報の大きさに浮足立ってしまい、そのことを見透かして夫人は対応を留保したようだが、その後1年以上かけ、信頼関係を築けたのは、やはり粘り強いやり取りの末、人柄を認めてもらえたからだろう。


 この間、主要メディアの記者たちは、いったい何をしていたか。そんな思いも湧くのだが、重大な情報であればあるほどに、一般にはガツガツとそれを求めても、対象者はむしろ心を閉ざしがちだ。こればかりは運次第の面が大きいが、唯一信頼獲得のノウハウがあるとすれば、結果を急がない、それに尽きるだろう。何ヵ月でも何年でも相手の心が固まるのを待つ。立ち消えになってしまうなら、それも受け入れる。そんな構えが伝われば、相手も徐々に警戒を解く。少なくとも出し抜いたり裏切ったりしない取材者だと受け止める。ただ、こうした粘り・忍耐が、日々結果を求められる組織ジャーナリストには、つらいものなのだ。


 その意味で今回の件で、赤木夫人が相澤氏に目を付けたのは、正しい選択だっただろう。取材される側にとって、大事なのはあくまで記者個々人の人格だ。たとえ同一のメディアでも、人間性は千差万別だ。結局のところ、被取材者が怖いのは、取材者個々人が隠し持つ功名心、あるいは上司の“圧”に抗えない弱さである。その点、事実上のフリー記者・相澤氏は“個人で動く人”として、とことん話し合える相手に思えたのだろう。


 それにしても今回の文春記事を見ると、そこには自身の死をも覚悟した赤木夫人による並々ならぬ決意が感じられる。当初は相澤氏に「手記」を託し、自らはすぐ命を絶つつもりでいたという。現在では法廷で自ら戦う姿勢へと変わったが、それでも常に死を意識した悲壮な決意でいる。そんな命がけの戦いが、保身や忖度しか頭にない官僚に破れるとは思いたくないのだが、何しろ相手は強大な国家権力を後ろ盾とする。胸を締め付けられる痛ましい戦いだが、今後の展開から目を離さずにいたい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。