3月8日(日)~3月22日(日) 大阪府立体育会館(画像は「NHKスポーツオンライン 大相撲『おすすめ動画』」より)


 コロナウィルス騒動で公式戦の延期や中止が相次ぐスポーツ界で唯一、無観客で「本割」を組んだのが大相撲。自宅に閉じ込められた人たち、とりわけ好角家が多い高齢者には朗報だった。プロ野球の集団応援が大嫌いで、開幕カードの代替ゲームである声援なしの練習試合を嬉々として見ているが、ガランとした土俵の周囲は殺風景で、寂しさが募った。そう感じるのは、力士の佇まいに要因があるのではないか。まわしは締めているが、ほぼ全裸の大男が武器も持たず体当たりするのである。相撲ばかりは歓声が欲しい。


 そんななか始まった春場所。陽性反応の力士が出れば即中止の状況で、千代丸(西前頭15枚目)が中日の8日目に高熱を出して休場。ヒヤリとしたが、なんとか千秋楽を迎えて取り終えた。最後は横綱対決で優勝が決まり、朝乃山の大関昇進も内定。めでたしめでたしだった。



 前半戦の好取り組みは6日目の朝乃山(東関脇)-御嶽海(西前頭3枚目)。大関取りに失敗して平幕に落ちた御嶽海が先輩のプライドを前面に出し、今場所後の昇進をめざす朝乃山を寄せ付けなかった。御嶽海は終盤、格下の平幕に連敗して10勝止まり。このへんがまだ甘い。過去3年で2度優勝している実力者が大関に上がれないのは、ひとえに気構えの問題だが、押し相撲の限界だろうか。4場所連続2桁の朝乃山は四つ相撲。久しぶりの本格大関になるだろう。


高安のうめき声と炎鵬の限界

 

 4日目結びの一番、西横綱の鶴竜と高安(西前頭筆頭)だった。鶴竜が相手の右腕をつかんで突き落とすと、高安は自らの体重を乗せ右ひじから土俵に叩きつけられてしまった。


 直後、何とも言えないうめき声が無人の館内に響く。


「ハァッ!!」


 悶絶寸前の高安を心配そうに見つめる横綱。勝ち名乗りを受け、懸賞金を手にしながら心配げに去る横綱。腹ばいになったまま起き上がれない元大関は、車椅子に乗せられて退場した。最近は太り過ぎの力士が多く、大怪我をする力士が跡を絶たない。押しや差し手争いに体が付いていかないのだ。自分の体形を操れないようでは、何のための増量かわからない。



 逆に軽量の悲哀を見せたのが当代一の人気力士、炎鵬(東前頭4枚目)の低調ぶりだった。炎鵬-鶴竜(7日目)は、まさにちびっこ相撲。僅か5秒。横綱が落ち着き払っていて突っ張ると、小兵はたちまち土俵の外へ。格の違い以前だった。上位陣のなかで勝つのが難しい場合、角界では「家賃が高い」という。これまでは初顔合わせの有利さから勝ってきたが、相手に研究されて対策を講じられると動きを封じられる場面が増えた。どんなスポーツでも、初顔は番狂わせがある。炎鵬の限界が見えた。



空回りした白鵬の飛び道具

 

 今場所最も印象に残ったのは、東横綱白鵬と西関脇正代の一番(12日目)だった。いつもは左手が多い張り手を右手でかました横綱だったが、正代は怖がらず顔を上げたまま真正面を凝視、張り手で空いた白鵬の右脇に手を入れて応戦した。ビンタが効かず立腹した横綱はその後二度三度と張り手にこだわるが、正代は委細構わず頭を付けながら横綱に差し手を与えず突進、寄り切った。先場所、遠藤にかち上げを封じられてから、白鵬の飛び道具は読まれてしまった。ほとんどの力士は大横綱の気迫に押しつぶされて応戦できなかったが、実力派の遠藤、正代が勇気を持って対処した。その後3日間の白鵬の戦いぶりはガラリと変わり正攻法の相撲になった。横綱には妙薬になったし、下位力士にもいい手本になった。勝負事は切磋琢磨、こうでなければいけない。


 

実況と解説の妙

 

 ところで、大相撲のもうひとつの魅力は、実況と解説である。NHKの看板コンテンツである国技の実況生中継は、制限時間4分(十両は2分)でも攻防は数十秒。話術が放送中に占める時間は、とても長い。正面にメインの解説者と向正面にもうひとり。実況はNHKのアナ、ほかに東西の支度部屋に繋がる通路にひとりずつ取り組みを終えた力士のコメントを取る取材担当のアナもいる。横綱土俵入りから始まり幕内が終わる間の約2時間、テレビ桟敷を飽きさせてはならない。アナウンサーの話術の巧拙は大相撲の観戦に直結する。藤井康生、吉田賢の両ベテランは安心して聞けるが、間の悪い人もいる。これは改めて取り上げたい。


 解説で最も面白いのは、舞の海と北の富士だ。今場所は朝乃山の大関取りで2人の会話が盛り上がった。千秋楽。中入り後の空いた時間に、舞の海が口火を切る。「3場所28勝で大関、その後横綱にまで駆け上がった北の富士関のように、是非なってもらいたいですね」。これを聞いた北の富士、「そんなことを言うなら、君とは絶交だ」。大変失礼しました、と返す舞の海。掛け合い漫才だった。


 北の富士は昔(1966年)、昇進前3場所の成績が8勝、10勝、10勝で28勝だった。そのことを引き合いに出して言ったのである。当時も一人大関という今と同じ状況だったのだ。優勝10回の名横綱と小結止まりの舞の海とでは、番付の社会でこんな軽口を叩けるわけがない。事前の了承があったことは容易に想像できるが、場を盛り上げようとする気持ちが嬉しい。北の富士は一昨年だったが、死に損なったので体調万全ではないはず。昨年喜寿を迎えた高齢だけに気を付けてほしい。時々咳込むし、人の話を聞いていないこともある。しかし、それが変に絶妙で人柄を忍ばせる。


 余談になるが、その後横綱になった北の富士は、ライバルの横綱玉の海と「北玉時代」を築いたが、その後、玉の海が巡業中に急逝したことを聞いて駆け付けた報道陣から第一報を知らされると、その場で号泣した場面を50年経った今でも忘れられない。(三)