今どき珍しい、店主の趣味が強烈に出ている書店(やたら人文系の書籍の品揃えがよい)で『歴史を変えた10の薬』を入手した。一般向けに書かれた“薬の歴史”本は、時代背景やエピソード、開発の舞台裏を楽しむことができるが、本書もそんな一冊である。


「10の薬」と銘打たれているものの10の著名な薬を扱っているわけではなく、10ジャンルというわけでもなく、階層に少々バラつきがあるのだが、さまざまな切り口の10章で構成された薬の歴史書だ。


〈平均的な米国人が生涯で飲む錠剤の総数は、平均して五万錠以上〉〈一八〇〇年代にわたって、米国のローダナムやモルヒネの常用者の大多数は女性であった〉〈ヘロイン入りの万能薬は、どの年齢でも、乳児にさえ安全と謳われた〉……、さまざまなエピソード、知られざるうんちくの数々は本書で読んでいただきたいが、特徴的なのは、薬の本質や製薬会社の正体を鋭く描いている点だ。


〈効果が高い薬はどれも、例外なく、危険を及ぼしうる副作用がある〉とは、よく知られている薬の真実だ。薬の定着パターンにも“定石”がある。著者が注目するのは、20世紀初めにマックス・サイゲというドイツの研究者が記した「サイゲサイクル」という現象である。


 サイゲサイクルとは、本書を要約すると以下のとおり。①画期的な薬の市販と熱烈な歓迎、広範な普及(第1段階)→②薬の危険性に関するネガティブな記事の掲載(第2段階)→③人びとが薬を冷静に理解し、売れ行きが適正化(第3段階)。そして、〈製薬会社がつぎの魔法の薬を発売し、前述のサイクルが最初から繰りかえされる〉。


 薬の業界に少し詳しい人なら、思い当たる薬が1つや2つは容易に浮かぶだろう。第9章で取り上げられているスタチンはその典型だし、抗菌薬やオピオイドの類もそうだ(薬剤耐性の問題や、依存・過剰摂取の問題を考えるともう少し複雑だが……)。

 

■大型薬の秘訣は「治さない」


 しばしば「新薬は病気をつくる」と言われる。〈以前は自分自身で対処していたこと、たとえば生活様式の選択や低リスクの健康上の悩み、個人の癖〉といったものについて、〈それを治療する薬が現れたとき、軽度の不安はとつぜん、薬で治療可能な病態〉になる。


 例えば、かつて「注意散漫」「元気」で済まされていた子どもが、今はADHD(注意欠陥多動性障害)と診断されることもある。米国での話と推測されるが、〈薬によって利益を得られそうな人の定義がどんどん広がり、とうとう一〇人に一人の子どもがなんらかの種類の薬を飲んでいるように思えるほどになっている〉という。


 なるほど!と膝を打ったのが、〈長くつづくブロックバスターを得る最善の方法は、何も治さない薬にすること〉という教訓だ。長い目で見れば、新薬メーカーからジェネリックメーカーにプレーヤーが変わるが、〈症状を改善する生活の質薬は永久に処方することができる〉というのは、表立っては言えない製薬会社のホンネの部分だろう。


 今につながる薬の世界は、たかだか百数十年程度で、まだまだ進歩は続いている。生物学的製剤へのシフトやデジタルドラッグ、個別化医療については、すでに動きは始まっている。気になったのは〈鈍重な恐竜〉と例えられた、ビッグファーマの問題だ。


 そもそも〈製薬会社というものは、薬そのものと同じく、とにかくいい会社か悪い会社か、というものではない。両方を併せもつ〉。


 さすがに100年前のようなインチキなマーケティングはできないし、ここ10年ほどで「医師の接待漬け」もずいぶん制限されることになった。


 ただ、〈製薬会社は、自社医薬品を指示する事実を宣伝し、指示しない事実を最小限に弱める術を身に付けていて、科学的な知見にバイアスをかけている〉と感じる場面はあるし、実際に大手製薬会社が絡む事件も起こった。ロビー活動も少々拡大しすぎている感もある。


 M&Aが相次いだことで、新薬を開発する企業の数も減った(日本では「いまひとつ」の印象だが、欧米ではスタートアップが担うケースも増えている)。巨大化したメガファーマによる寡占市場が、歴史を変える新薬の開発にどう影響を与えるのか? 10年後、20年後の治療薬(の開発)と人々の健康状態が、その答えとなる。(鎌)


<書籍データ>

歴史を変えた10の薬

トーマス・ヘイガー 著、久保美代子訳(すばる舎リンケージ2200円+税)