新型コロナ騒動はいったいどんな展開をたどるのか。何とかして「医療崩壊」を防ぎつつ、ゆっくりしたウイルス蔓延で「集団免疫」を待つ以外にないのか。それ以前に、ワクチンや治療薬の開発が間に合うのか。正直、「1年後の五輪開催」さえ危ぶまれるほどに、長期間の異常事態が続くように思われてならない。
イタリアのように棺が並ぶ光景も恐ろしいが、よりリアルなイメージで、2ヵ月後、3ヵ月後に出現する、経済的地獄絵図が目に浮かぶ。事実上の外出禁止措置で街がゴーストタウン化する何週間かが続いたあと、いざ規制が解除されたそのときに、いったいどれだけの商業者が生き残り、営業再開を果たせるのだろう。下手をすると何割もの商店が、シャッターを二度と開けられない、そんな光景さえ思い浮かんでしまうのだ。自分自身の生活にも、もちろん恐怖が込み上げる。
今週の週刊文春は先週号・森友大スクープの続報『森友財務相担当上司の「告白」「8億円値引きに問題がある」』を載せている。内容は自殺した赤木俊夫さんの妻による証言で、近畿財務局の上司から、そもそもの国有地値引きに問題があった、という説明を受けたという話である。そしてその関連記事、私自身はメインの記事以上に『赤木さん「遺書」私はこう読んだ』という識者6人の談話が興味深かった。
とりわけ目を引いたのは、国際政治学者の三浦瑠璃氏のコメントだ。彼女は赤木氏の死の直後、テレビで「人が死ぬほどの問題じゃない」と発言し、炎上を体験した人である。今回の記事では、あくまでも「次の犠牲者の出現を防ぐ目的のコメントであった」と当時の発言の“真意”を語っている。だが正直、彼女の釈明に説得力はまったくない。「どれほど深刻な(深刻に思える)問題でも、死を選んではいけない」というメッセージだったなら、絶対にあんな言い方にはなり得ない。彼女の発言は、「死を選ぶほど重大な問題」という赤木さんの判断を否定するものだった。「自殺に値しない小さな問題で死を選んでしまった」と、赤木さんの“判断ミス”を指摘したのである。あとになって、どう言い繕ってみたところで、それ以外の文意にはなり得ない。
最近、似たニュアンスの言葉を、あるドキュメンタリー番組で聞いた。『ストーリーズ』というNHKの番組で、34年前のいじめ自殺事件「鹿川裕史くん“葬式ごっこ”事件」の後日談を取り上げた。中学2年生だった少年・鹿川君がクラスの「葬式ごっこ」の標的となり、死を選んだ事件。いやがらせで同級生が作成した“追悼の寄せ書き”の色紙には、あろうことか学級担任ら4人の教師までメッセージを寄せていた。
当時、新聞記者として事件を担当した80代の老人が34年を経て全面取材拒否だった教師のひとりを改めて取材、いったいなぜ、と問いを発するドキュメンタリーである。撮影・録音なしの対面取材を終えた元記者の老人は、NHKの取材者に元教師の言葉を伝えた。驚くべきことに、彼は教え子の自殺に「死ぬことはなかったのに」と漏らしたという。自分が彼を追い詰めた加害者のひとりだったという呵責を感じぬまま、この“教育者”は淡々と老後を生きてきたのである。そして、あたかも他人事のように「死ぬほどの問題じゃなかった」という三浦氏とほぼ同義のコメントを発したのだ。
私は自分自身の思想的立ち位置を、「真ん中に近い左派(リベラル)」、もしくは差別や格差など2~3の限定的テーマで左派の立場に立つノンポリ、と考えるが、右側の人たちとどうしても交わらない究極の一点が、教師や上司、雇い主、国家などのポジションにいる人間が、自らの“支配下”の人間を死に至らしめる「理不尽さへの怒り」だと感じている。「右寄りの人々」は往々にして、それが薄い(もしくはそれを思い描く想像力が弱い)。
確かに世界の現状や人類の歴史を見渡せば、「理不尽な犠牲者」はいつだって存在してきたし、未来もそうだろう。しかし、だからといって、それを淡々と“仕方ない”と割り切って捉える感覚を、私は“正しい”とは思えない。とくに彼らが権力に近い立場にいる場合は。三浦氏のコメントやこの元中学教師の言葉には、そういった“向こう側の人々の冷たさ”が透けて見える気がするのだ。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。