今週の週刊文春、『総力取材・コロナ狂騒曲』というワイド特集で、『NY感染爆発でも紙発行 ニューヨーク・タイムズの取材術』という記事に目が留まった。州知事による非常事態宣言から3週間、“ゴーストタウン状態”になって久しいこの街で、記者たちはどのように取材活動をしているのか。


 その答えは「リモートワーク」、要するにスカイプなどのビデオ通話や電話による取材ということなのだが、それなりに深みのある話を聞くためには、取材対象にある程度の信頼を得る必要がある。米国の代表紙ニューヨーク・タイムズならではの「これまでの蓄積」があればこそ、現在はまだ紙面製作が回っている。


 ただでさえ「足で記事を書く」という記者稼業の“鉄則”はここ数年、紙媒体の衰退・ネットメディアの台頭という転換で(つまり全メディアの取材費削減で)有名無実化し、日本のメディアでもメール取材、電話取材が一般化してしまっている。旧世代のロートル記者としては、「初めまして」で始まる電話・メール取材にはどうしても抵抗がある。


 最近は書き下ろしに近い書籍の仕事をメインとし、数ヵ月~年単位でひとつの仕事をする。なので“執筆期”にはひたすら引きこもり、その合間のどこに“取材期”をはめ込むか、日程の調整には比較的融通がきく。昨今の情勢では、当面、取材は見合わせて、「とりあえず手持ちのデータで書ける部分を書く」ことに徹している。「取材なしに書けない部分」は後に回し、原稿を“虫食い状態”にしたままで、先へ先へと書き進めてゆくわけだ。


 ただ、この方式にも限界があり、いずれは“穴埋め”の取材が必要となる。目下、取り組んでいる仕事では、最低でもあと数人、面識のないキーマンにロングインタビューをさせてもらう必要がある。2~3時間の長電話でそれが果たせるのか。その依頼に相手は応じてくれるのか。まずは取材の趣旨・自己紹介などのデータを長文の手紙にしたためて、協力をお願いするしかない。そんなことで頭がいっぱいの今日この頃である。


 それにしても、新型コロナの問題は当初の想像をはるかに超え、日に日に深刻さの度合いを増している。トランプ大統領によれば、米国で予測される死者数はさまざま手を尽くしても24万人、今後、無策のまま放置すればその10倍にもなるという。第2次世界大戦の米国の死者数が42万人だったことを考えると、この数字の破壊的衝撃がわかるだろう。


 日本での感染者はまだ約3000人、犠牲者は100人に満たないが、タレントの志村けんさんが死去したほか、野球界の梨田昌隆・元監督や藤浪晋太郎投手、脚本家の宮藤官九郎氏、芸人の黒沢かずこさんなど連日のように著名人の感染が報じられている。今週の文春では、その宮藤氏が、罹患を知る前に書いた原稿であろう、自身のコラム『いまなんつった?』で、「コロナのバカ野郎」と騒動一般への不満を書いていて、何とも言えない気分になる。


 テレビ報道では、ここに来て、重症患者に病床を空けるため、軽症患者を移す収容施設をどうするか、という議論が出てきたが、いくらなんでもこの「対応の遅さ」はあまりにひどすぎる。「医療崩壊を防ぐため、患者発生のピークを後ろにずらす」。2ヵ月も前から繰り返しグラフ付きの説明がされてきたし、幸運にも(本当に“運”に恵まれて)その“時間稼ぎ”に成功してきたのに、いざというときにこの体たらくだ。


 我が国はせっかく手に入れた“貴重な準備期間”をみすみす浪費してしまったのではないか。安倍首相の「マスク2枚」にも呆れたが、そんな心配が日々募る。来週の感染者グラフは果たしてどうなるか。その推移が心底恐ろしい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。