たかだか今から40年ほど前を「昔むかし……」と話し始めていいのかどうか。日本の医薬品流通業の変貌ぶりは驚くばかりだ。むろん、小売業を含めた日本の流通全体は戦後、大きく変化した。下駄履き商店街にスーパーマーケットが生まれ、大型商業施設の郊外進出と商店街の凋落、コンビニ、ドラッグストアの隆盛と、全国のいわゆるシャッター通りの出現。コールドチェーンなどロジスティック技術の革新などが、それを支え、変化を促してきた。しかし、医薬品流通は、製造、ユーザーの基本的形態、コンシューマー(この場合は患者)の医薬品に対する認識、価値観などといったものがそれほど大きく変わったわけではない。流通の当事者の姿だけが劇的に変わった。業種の規模、数的変化という面ではあまり例がないのではないだろうか。
●劇的な再編合理化は果たした
日本医薬品卸業連合会(卸連)の最新のデータでは、1978年に615社あった卸連加盟の医薬品卸売り業者は2014年3月時点で83社に減った。36年間で500社以上が減り、集約されたことになる。同データをみると78年以降の10年間で約200社減り、その後の15年間でさらに200社以上減っている。
ごく荒っぽく1978年以前と以後を振り返ってみる。1978年以前の医薬品卸は、戦前・戦後直後の統制経済以後、大規模大手問屋業者の製造業への転換、あるいは大手メーカーによる流通支配体制強化などの医薬品産業全体の整理を経て、1960年代以後に落ち着きを取り戻していったようである。この間、大手メーカーが独立系1次卸が誕生することによる流通支配を避けるため、地方の有力小売業に直接卸す販売方法が確立されてくる。1950年代には、保健衛生薬を中心に医薬品の乱廉売が行われており、こうした廉売を避けるために、医薬品の再販指定(その後1997年までに除外)が行われた経緯がある。
つまり、大きな卸が出現して、流通体制を支配されないよう、メーカー自体が流通支配するために「メーカー系列化」が主流となるなかで、地方の有力薬局薬店が特定メーカーの代理店、特約店として機能し始めることになる。こうして、1978年頃までは、都道府県ごとに4〜8社の医薬品卸が割拠するようになり、これが徐々に1次卸として機能していくことになる。そのため、当時は武田系、田辺系、三共系といった具合に周辺から見なされ、当該の地場卸自身がそのように自らを紹介することも当たり前の話だった。また、系列メーカーとの資本提携、役員派遣なども当たり前のように行われていたほか、地域ブロック単位ではメーカーの直営的な卸が存在していたこともある。
●流通改変を余儀なくさせた節目
戦後の医薬品流通業の変遷について、改めてその節目を提示しておこう。第1は、戦後すぐの乱廉売時代と再販制度の導入だが、この時期はいわば混乱期である。ただ、乱廉売の直接的な原因は、当時のメーカーの無計画な大量生産と言われている。そこで直販を主とした廉売に至るが、ダブついた商品はダンピングされながら循環的に流通する事態も生んだ。これが現金問屋の発生にもつながっている。
第2の節目は、1961年の国民皆保険制度の導入だ。ここをほぼ境目にして、医薬品消費は医療用医薬品を中心としたものに変わる。むろん、医薬品流通も医療用を中心とするようになり、1次卸の主力取引先は薬局薬店から医療機関に変わった。1961年以前から、医療機関の増加、医療機能の整備とともに医療用医薬品の需要は高まっていたが、国民皆保険制度は医薬品流通はメーカー→1次卸→医療機関→患者という図式を確立させたといっていい。
卸連のデータをみると、皆保険から20年後の1次卸取引は医療用85・3%となっているが、それでも現在は96・4%だ。なお、当時は医療用・一般用という区分が十分ではなかったらしく、1960年頃の確実なデータが見当たらないのは残念だが。
第3は、1981年、つまり国民皆保険から20年後から起こった医療費適正化の時代の始まりだ。医療費適正化は薬価の大幅引き下げから始まった。1981年には18・6%という大幅引き下げが行われており、医療用医薬品の大量消費時代にブレーキをかける政策が本格化する。薬価制度自体にも大きなメスが入れられるようになったのもこの頃からだ。2年に1回の薬価改定は、大幅引き下げが継続し、1985年には卸の一部から薬価調査非協力といった動きも表面化したエピソードも生まれている。卸の再編が医薬品産業全体の課題となり、集約の動きが始まったのが1981年とみてよい。
第4は1992年である。世の中全体のバブル景気が下降し始めたこの時期、薬価制度はいわゆる「R幅方式」が導入されると同時に、流通改善も具体化した。公正取引委員会などの介入もあって、医薬品流通は大きな変革を余儀なくされた。メーカーによる流通価格への直接的な関与は規制されることになり、いわゆる薬価差益を武器にした価格交渉は縮小せざるを得なくなった。卸にとっては、さらなる経営効率化を求められる状況となり、同時にメーカーの系列メリットも相当に失われることになった。実際、1992年からの10年間で卸数は半減した。
そして2000年以降は、医薬品流通はさらに大きな改革のときが継続しているといってよいだろう。いわば第5の節目である。医薬分業の進展、そして後発品の使用促進という2つのファクターは、卸の取引先を仕入れ、販売先両方ともに変化させている。とくに、いったんはその得意先から外れた薬局が、また主流の得意先に回帰し始め、それも後発品のニーズとともにというドラスティックな装いを伴って、だ。
それによって物流のインパクトが強まるなかで、卸の経営戦略そのものが競争の時代へと変わりつつある。同じことを同じ目線でやる時代ではなくなった。実は物流が細分化されただけではなく、情報供給のニーズも細分化されたことはやっかいな課題だ。
●医薬品卸は「商社」に戻れるか
医薬品卸は、その機能をみると「医薬品商社」としての色彩が強い。教科書的にいえば、物流だけでなく、医薬品という高品質商品の品質管理、流通管理が求められるほか、得意先のコンサルティング機能も必要になる場面もある。また、情報収集・提供という機能もメーカーの補助的役割として担う必要も出てくる。
メーカーの系列化が影を潜めた今、薬局をはじめとする川下の機能改善に卸は力を振るうことを期待されている状況もある。実は、そもそも日本の医薬品産業は商社機能から始まっている。コンプライアンスを含めた情報発信源でもあった。
また、簡単に言ってしまえば医薬品卸は、その当初から求められるべき機能と品質で競争する環境にようやく立ったのかもしれない。だが国民皆保険がスタートしたころ、卸の機能には金融機能もあった。その機能の変遷をこれから少し遡ってみていこう。(幸)