「オピオイド」という言葉を初めて聞いたのは、かれこれ10年ほど前だろうか?
一般に「麻薬性鎮痛薬」などと訳されるが、ケシの花由来の麻薬や、それを化学的に合成したものである。日本ではがんの疼痛治療などに使われている。当時、オピオイドについて教えてくれた、ある製薬会社の社員は、「よく効くが依存性が高く、使い方次第では恐ろしい薬」と語っていた。
しばらくは、その存在を意識することはなかったが、思い出したきっかけは、2015年に、トヨタ自動車の常務役員を務めていた米国人が、オピオイド鎮痛薬の一種である「オキシコドン」を密輸し、麻薬取締法違反の容疑で逮捕されたことである。
その後も、米国でのオピオイドの乱用問題については頻繁に報じられてきた。薬物に対する“お国柄”の違いからか、いまひとつ、実感を持てずにいたのだが、オピオイドを中心に米国の薬物汚染の深層に迫る一冊が登場した。
『DOPESICK アメリカを蝕むオピオイド危機』が、それだ。DOPESICKとは「禁断症状」を意味する言葉。著者は、患者本人やその家族、捜査関係者、医療関係者、運び屋などさまざまな関係者への取材を重ねて、薬物汚染の実像を描いていく。
昨今、世界を震撼させている新型コロナウイルスが米国にでも猛威をふるっているが、薬物問題はそれをはるかに上回る規模だ。〈薬物の過剰摂取は過去十五年間で、すでに三十万人のアメリカ人の命を奪っており、専門家は次の五年間で、さらにもう三十万人以上が死亡するだろうと予測している〉という。〈五十歳未満のアメリカ人の死因トップ〉である。
なぜ、そんな事態を招いているのか?
米国における過度の薬至上主義と、医師たちの安易な処方は大きな要因のひとつだが、実態はより複雑だ。オキシコンチンなどのオピオイド鎮痛剤から、ヘロインなどの強力な合成麻薬へ、農村地帯から都市部や郊外へ、貧困層から上流階級へ……、さまざまな関係者がそれぞれの事情で(不運にも遭遇しながら)薬物汚染に巻き込まれていく。
■新しい麻薬は依存性がない?
もうひとつ、新しい医療用の麻薬が登場する際に、何度も繰り返されてきた“失敗”について触れておきたい。依存性のなさや安全性の高さが強調されすぎる点である。
例えば、オキシコンチンの場合、〈徐放作用が組み込まれているため、急激な陶酔効果を求める薬物乱用者には役に立たない〉と製薬会社は主張していたし、〈営業担当は、行く先々で同社の新しいオピオイドの安全性を宣伝した〉。また、〈オキシコンチンはがんに限らずあらゆる種類の慢性痛に対して効果があり、信頼性が高く依存症は一%以下だと主張した〉ともいう。
薬の歴史を振り返れば、19世紀の医師たちは、アヘン依存の治療にモルヒネを利用し、その後、モルヒネ依存になった患者にヘロインを使った。
製造元は、ヘロインに関して〈咳を止め呼吸を楽にする効果があるほか、アルコール依存症やモルヒネ依存症にも効く〉とまるで万能薬のような主張をしたが、〈一九〇〇年までに、二十五万人のアメリカ人が、ヘロイン依存症になっていた〉という。
1世紀にわたって続いた、「ヘロインの失敗」を、現代の米国は繰り返そうとしているのだろうか。
たちが悪いのは、近年になるほど、麻薬が強力になっていることだ。〈三十年前は流通していたヘロインの濃度が三~七%程度だった〉が、〈今日流通している麻薬の濃度は四〇~六〇%〉とはるかに高い。常用していると、通常の社会生活を維持することは難しい。
日本では、がんの疼痛治療などで〈オピオイドが実際に必要とされている量の一五・五%しか処方されていない。これに対し、アメリカは二二九・六五%、カナダにいたっては三一二・五五%もの過剰な処方が行われている〉という。スポーツでのケガなどにも安易に処方され、不要な処方薬が横流しされ、乱用が広がった米国の状況は、“対岸の火事”に映るかもしれない。
しかし、程度の差があるとはいえ、かつて日本でも覚せい作用がある向精神薬「リタリン」の不正処方が問題になった。そもそも、〈処方薬や市販薬の乱用は、元々、それを保有することが違法ではないため、乱用が問題になりにくい〉。
日本でも、ブロンなどの咳止め薬、パブロンなどの総合感冒薬、セデスやナロンエースなどの鎮痛薬といった市販薬で乱用が報告されている。
訳者は、〈依存症者が一定数を超え問題が表面化したときには、もはや手が付けられない状態になっている恐れがある〉と警鐘を鳴らす。米国のオピオイド危機は”他山の石“なのである。(鎌)
<書籍データ>
ベス・メイシー 著、神保哲生訳(光文社2,200円+税)