ニンジンというと多くの人は橙色や茜色のセリ科植物の根、つまり野菜の炊き合わせや肉じゃがに入っているその野菜を想像されると思うが、実はそのニンジンは日本ではかなりの新参者で、その名称の元祖ニンジンは薬用人参なのだそうである。


 薬用人参、別名では高麗人参とか朝鮮人参とか呼ばれることもあるが、名前が違っていてもみな同じものを指しており、こちらの方が先に日本に輸入されて広まっていた。この薬用人参に形が似ているので、セリ科植物の野菜の方もニンジンと呼ばれるようになったらしい。


 では、なぜ、先に日本国内で広まっていた薬用人参の知名度が下がって野菜と逆転することになってしまったのか。それは、明治政府が、薬用人参をはじめとする生薬類を使った医療を完全否定し、新しくヨーロッパから輸入された近代医学に基づく医療を日本政府公認の医療と定め、医師免許はこの近代医学を学んだ者に与えると定めたからである。このため、江戸時代は日本の医療の中心だった生薬を使った医療、すなわち日本の伝統医療である漢方は、明治時代以降、表舞台から消え、同時に生薬の利用も急速に減退し、日本人から忘れられていったのである。


 この明治政府による漢方医学の全否定以降、昭和51年に漢方エキス製剤が健康保険でカバーされる医薬品として認められるまで、漢方医学の暗黒期とも言える時間が長く続いた。この間に、薬用人参は一般の日本人からすっかり忘れられ、代わりに、近代科学的手法で分析するとカロテン類などのビタミンが豊富であることが判明した野菜のニンジンが、日本人の一般常識にしっかり定着したのである。


 古来、薬用人参は日本の伝統医学の中で重要な医薬品として使われている。それは今も変わらない。最先端のサイエンスが詰まった現代医療を以てあれこれ手を尽くしても癒されなかった患者さんの傷病が、漢方や鍼灸など日本の伝統医学による治療であっさりと快癒したということはたくさんあるわけだが、その中の漢方医学で人参は汎用生薬のひとつに挙げられる。


掘り上げたばかりの6年根


 滋養強壮、特に、漢方用語では脾胃(ヒイ)と表現される消化器全般の不調を整えて全身の健康状態を改善していく作用が強く、黄耆(オウギ)や生姜(ショウキョウ)といった生薬と組み合わせて漢方処方とされることが多い。このため、高齢者やもともと病気がちの虚弱体質者、病気療養中や病み上がりの者に出される漢方処方には人参の入ったものが多い。近年では、抗癌剤治療中で体力低下が激しい患者さんの滋養強壮や、大腸癌などの開腹手術後の機能回復や副作用防止にも人参入りの漢方薬が著効する場合が多いこともわかってきた。漢方薬そのもので疾病治療を目指すということのほかに、近代医学で治療する際に現れる種々の不快症状や副作用への対処、またそれらの予防に、化学医薬品ではうまく対応できないが漢方薬であれば対応可能である場合というのも多く報告されるようになっている。このように漢方薬の活躍の場が広がってきたせいなのか、日本の人参の消費量は近年は増加傾向にあるという。


 江戸時代、またそれ以前も、病床にあった虚弱者、高齢者等が、人参を含む処方を服用していると元気になって床上げできるようになる様子を見ていて、人参はとっておきの生薬だと昔の人たちも考えていたようだが、人参は栽培に長い時間がかかる。種まきから収穫まで日本では5〜6年かかるのが普通である。また、直射日光や長時間の雨も嫌うことから、植え付けには特別な人参小屋を必要とするし、果実が熟したときに種子は未熟なので、確実に発芽させるためには特殊な処理が必要になる、など、とかく手がかかる薬用植物である。手がかかる上に植えてから5〜6年後にしか収入が得られないのだから、人参の価格は昔も今も非常に高い。


参小屋(身をかがめないと入れない高さで、下で作業するのは重労働)


 この高価な人参をはじめ、多くの医薬品(生薬類)が大陸からの輸入品であったために、江戸時代、日本は輸入超過の赤字体質だったらしい。徳川家八代将軍吉宗はこれをも改革すべく、多くの生薬類の国産化を強力に進め、人参も国産化に成功した。この時、幕府から各地の藩に人参の種子が配られ、幕府から頂戴したありがたい御種(おたね)である、というところから、人参の基原となる植物の名称はオタネニンジンと呼ばれている。


洗浄後の6年根


 人参はウコギ科で、セリ科の野菜ニンジンと地下部の形はなるほど似ているかもしれないが、地上部はまったく異なる形態である。


 野菜のニンジンの葉は食卓でお浸しや胡麻和えでお目にかかるそれだが、薬用人参の葉は3枚から5枚の小葉がひと組になったもので、植物体が小さい頃の葉は子供が手を広げているような感じにも見える。葉はその人参がタネから生えて何年目かによってその枚数が決まっており、1年目は1枚、2年目は2枚、3年目は3枚、、、、なのである。つまり、1年目は1枚だけ。秋に寒くなってこの1枚が落ちてしまったら1年目は終わりである。2年目の春には新たに2枚の葉が出てくる。でも秋までずっとこの2枚だけ。こんなに少ない葉で、どうしてあれほど不思議な滋養強壮効果のある地下部が作られるのか、不思議なくらいのお上品さなのである。


5年目のもの。蕾がついている


人参小屋の中の様子(地面すれすれの小葉3枚の芽生は種子から発芽した1年目のもの。実がついた手前の大株2つは4年目のもの)


 日本の人参生産は、かつては国内消費分のみならず、輸出するほどの生産量を誇ったらしいが、現在の国内産地は、長野、福島、島根くらいで、それぞれの産地でも高齢化が深刻で、生産量は減少の一途を辿っている。ところが、日本の農家で5〜6年手塩にかけて育てられた人参は、品質が良いと海外の人参愛好者たちに評判らしく、最も高品質で高価な人参は、ほぼすべて輸出されてしまうのだそうだ。江戸時代の輸出とは趣の違う意味での輸出で、歴史ある農家さんの技術はさすが、と思うと同時に、最もいい国産品は、超お金持ちの外国人しか使えないような状況であるということに、いささか複雑な気分がする。これは、日本では医薬品としての人参には薬価が定められていて、価格に天井があるということが大きな原因のひとつである。


 さらに、人参は、専ら医薬品として使用される成分本質(昭和46年6月1日薬発第476号 各都道府県知事あて厚生省薬務局長通知を参照)ではないので、超高級人参も食品や嗜好品としてなら購入して服用するチャンスはありそうだが、日本の伝統医学の暗黒の期間にすっかり利用法を忘れてしまった一般日本人には、さほど魅力的なものではないのかもしれない。怪しい感染症が蔓延する時代に、底力ともいえる抵抗力を高めて、老若男女が元気に過ごすためのアイテムとして薬用人参はなかなかいいものだと思うのだが、いかがだろうか。


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。