政府はようやく「緊急事態宣言」を発出した。遅きに失したという声が上がっているが、実際その通りだ。民主党政権時代に制定された「新型インフルエンザ等」の緊急措置法が気に入らないからということで、改正法を「緊急を要する」と言って成立させたが、成立後、即実施するのかと思ったら、かなりの時間を要した。こんなに時間がかかるなら、もっと精密に改正法案を練って成立させてもよかったのではないか、という気がする。しかも、自粛してもらう事業者に補償がないのだから小規模事業者は「倒産しろ」と言われているようなものだ。


 それはともかく、小池百合子都知事は「ステイ・ホーム」と言っている。先の全国休校要請でもそうだが、「不要不急の外出を控える」というのは、経験から言うと、定年直後の生活と似ている。定年前は定年後の生活を思い描く。時間があるから読みたい本を片端から読もうと、本棚の奥に平積みしてある本を出してみたり、書店で読みたい本を買ってきたりする。新幹線ではなく、鈍行列車で鄙びた温泉に行ってみよう、いや、車で北海道を一周するか、もう少し欲ばって外国に行こうか、いやいや、押入れから釣竿を出して久しぶりにヘラブナ釣りに行こうか、等々、いろいろ想像する。ここまでは楽しい。


 だが、実際に定年になると、なかなかこの通りには行かない。朝起きて髭を剃ってから、さぁどうするか、というときになってから困る。昨日までサラリーマンだったという人間にとって出勤する先がないというのはどうにもならない。悲しいことに出掛ける理由がないし、家にいる理由も見つからないのだ。薔薇の手入れでもするか、草むしりでもするか、と思って庭に出ても10分もすれば飽きてしまう。だいいち、女房殿が亭主に家にいられては困るという。


 スーツに着替えて出掛けてみても、まず駅でまごつく。昨日までは定期券でさっと改札を通るが、今日からは切符を買わなければならない。電車賃が高いなということに気付くとともに、どこまで切符を買うべきか迷う。とりあえず、大手町まで切符を買って電車に乗ったのはいいが、今度は下車してからがまた大変だ。行く先がないのだ。昨日まで在籍した会社の後輩を呼び出すのは癪だし、親しい知人に電話しても向こうは忙しいから「今日はちょっと。来週はどうですか?」なんて言われてしまう。考えてみれば、こっちは暇でも、向こうは忙しいのだ。暇人の相手などしていられないのも当然だ。


 昼飯でも食べながら考えようと思っても、昼時はレストランも喫茶店も満員だ。仕方がないから公園に足を運んだら、公園では2~3人連れのOLが移動レストランか弁当屋で買った弁当を広げている。仕方がないから公園を一回りし、ビル街を散歩して時間をつぶしてからレストランか喫茶店に入る。だが、サラリーマンの習性で30分もすると、出たくなる。再びどうするかと迷う。電車賃は地下鉄が最も安く、私鉄、JRと続き、税金でつくった都営地下鉄、第三セクターの鉄道が最も高い、ということを改めて実感する。


 サラリーマン時代の帰宅は午前様が多く、週に4~5日はタクシーで帰ったが、もうタクシー代は会社が出してくれないのだ。会社に籍はないし、行くあても予定もないから、日比谷から浅草まで歩いて暇をつぶして帰るが、定年とはこんなに疲れるものだとは思わなかった。そのうえ、小遣いがかかるのには驚く。夜になって明日はどうしようか考えていると、女房殿は「家にいないでね。家にいるとご近所に定年だとわかるから」と言われてしまう。家でのんびり本を読むわけにもいかないのだ。


「釣竿など持って歩かないでよ」とも言う。家で過ごせるのは土日祝日しかない。女房殿が「家にいなさい」と許してくれるまでこんな生活が続く。城山三郎氏の小説に『毎日が日曜日』という定年後のサラリーマンの悲哀を描いている小説を笑いながら読んだことを思い出す。藤沢周平氏の小説『三津谷清左衛門残日録』のようにはいかない。


 定年後は旅行に趣味に、というのには2000万円を越える預金と生活に困らない年金がもらえないと、できない相談だ。それどころか「終活」の準備に取り掛からなければならないかもしれない。テレビでは「定年後、田舎で暮らす」という企画ものをよく放映する。定年後を快適に暮らしている故郷に帰るのならまだしも、そうではない田舎で暮らすのは難しい。最初こそ歓迎されるが、近所付き合いが難しいし、そのうちに田舎に馴染めなくなる。地元民と衝突することも起こる。だいいち、高齢者には病気が待っている。病気になったら通院をどうするのか。


 実は、週刊誌では田舎暮らしを勧めるテレビの無責任さを描こうと失敗例を狙っているのだ。暇つぶしに散歩しながらスーパーの駐車場で車の整理をしている、日焼しけたご老人に聞くと、答えはやはり、「年金が少ないものでね」と笑う。同病相哀れむ、の心境になる。数年はこうした気持ちから抜け出せない。政府から言われようが、言われまいが、定年後は何か仕事をしないと、日本人は生きていけそうもない。


 学校が急に休校になった子供たちが外に行きたがるのも無理はない。子供たちは公園で数人が“密接”状態で遊んでいる。傍では母親たちが3~4人集まって“密接会話”している。「外出」を控える」ことになったサラ―リーマン、OL諸氏も、突然、解雇された非正規の労働者諸君も、急に定年になったようなものだ。女房殿から「家にいないでね」と言われるよりマシかもしれない。「ステイ・ホーム」を実行するには臨時の「定年生活」を味わうようなものだ。むしろ、現役時代に「定年生活」を味わっておくのも、将来のためになりそうだ。(常)