今週の週刊新潮トップ『1ヵ月? 2年!「コロナ地獄」の我慢はいつまで⁉』は全10ページにわたる大型特集だが、新聞・テレビの報道と似たりよったりの主要記事よりも、こぼれ話的に末尾に載っていた『100万部突破『ペスト』に学ぶ「巣ごもり生活」』という短信に目が留まった。1940年代、アルジェリアで起きたペスト禍を描いたアルベール・カミュのこの本は、タイトルだけは昔から知っていたものの、もし今回の騒ぎがなかったら、おそらく一生涯、手に取る機会もなくスルーした作品だっただろう。それほどに、現在の“明日をも知れぬ状況”に私は道標を求めている。
「不要不急の外出」がご法度となった環境下、多くの人が似たような心境になるらしく、『ペスト』はここに来て15万部以上の大増刷になっているという。あいにく当方は仕事上、読まねばならない別の本が山のようにあり、実際に読む機会はだいぶあとになりそうだが、それでも次回、書店に行く際には、「暇を見て読むべき本」のひとつとして、購入するつもりでいる。
新潮記事によれば、物資の買い占めやインチキ薬の闇商売、差別の横行など、ペストの流行そのものより、そこに付随する人々の集団心理がリアルに描写され、今回の状況にもその多くが重なるという。実社会で巨大パニックに遭遇し、似たテーマの文学に目が向くという類似の現象では、1923年、関東大震災直後にもエドワード・ブルワー・リットンの『ポンペイ最後の日』がベストセラーになる前例があったらしい。
聞けば、今回の非常事態宣言に伴って東京や大阪では、大型書店が次々と営業休止を決めているとのこと。最新刊がつい最近、店頭に並んだばかりだった知人の小説家が、頭を抱えていた。かと思えば彼の場合、アマゾンの「読み放題プラン」に収められている電子書籍のいくつかの作品は、ここに来て急速に売れ行きが伸びているともいう。
今回の事態がいったいどれほど長期化するものか、皆目見当がつかないが、来年か再来年、コロナ禍が完全に終わったあと、国内外を問わず世の中の「風景」は、様変わりするだろう。出版界も然り。“コロナ後”の焼け野原で、人々はどんな書物、どんな物語に心惹かれるのか。知人小説家との雑談はそんな話にも発展した。変化の方向はまだまったくわからないが、人々の嗜好、人生観、読書習慣はそれでも激変すると思う。“コロナ前”の時代には、想像もしなかったタイプのベストセラーが出現したりする予感もする。
ビジネスや文化、技術の世界にも同様の激変が起こることだろう。もしかしたら、自宅でのテレワークは、コロナ禍の終結後も、ごく普通の働き方として定着するのかもしれない。「ついこの間までの日常」は過去のものとなり、「世のなかのシャッフル」「ガラガラポン」が、世界規模で見られるのではないか。前世紀で言えば、あの2つの世界大戦がそれぞれ終結して広がった焼け跡・闇市の風景のように。
週刊文春は赤木俊夫さん自死追及キャンペーンの第3弾『「安倍首相答弁と改ざんは関係ある」財務省幹部音声入手』を載せた。赤木夫人が述懐する亡夫の思い出や、その自死後、財務省関係者が夫人に伝達した説明の詳細など、丹念にデティールを描いている。衝撃の第1報のあと、二の矢、三の矢として政府を追い詰めるにはやや弱いが、それでもコロナ一色の世相のなか、忘れてはならない問題を愚直に追及する。全メディアが右往左往するいまだけに、一貫した揺るぎないスタンスには、それはそれで敬服する。もしかしたら、コロナ後の世相には気持ちのいい青空が広がって、現在より“正義”が通りやすくなる可能性だって、ないとは言えないのだ。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。