週刊朝日で、ホリエモンこと堀江貴文氏の連載コラム「xRealityな日々」が最終回を迎えた。筆者にはあまり“引っかかるところ”がなく、読まずに飛ばすことが多かったコラムだ。最終話も中国企業「アリババ・グループ」についてのさらりとした内容で終わっていた。にもかかわらず、今回に限って目次からコラムを探したのは、もしかしたら前話の続きがあるのでは、と思ったためだった。残念ながら、その期待は空振りに終わった。


 前号のコラムで氏は、信州大の学長による入学式挨拶について論じていた。報道で「スマホやめるか、大学やめるか」というドギツイ見出しを付けられて、話題になった挨拶である。実際にはそれほど乱暴な話でなく、スマホで時間を無駄遣いせず、本を読み、友人と語り合い、有意義に学生生活を送りなさい、という穏当な趣旨だったが、ホリエモンはこの学長挨拶に「間違っている」と噛みついたのだった。


 要は、スマホにはパソコンに匹敵する機能があり、今やネット経由でたいていの知識は手に入る。そんな前提で、「社会にいて知識を得るのに書籍は必須の手段でない」と“読書偏重”の考え方を批判したのである。


 やっぱり彼は“そちら側”だったのだな、と失望した。ホリエモンだけではない。ネット世代の文章にまま見られる主張である。最近、急増する「コンサルタント」を名乗る人々の物言いにも、似た違和感を覚えるが、こうした“IT系”の言説には、なかなか馴染めない。書物から得られる価値を、「知識」または「情報」と言い換えてしまう神経が耐え難いからだ。彼らには、人文系の知性が無意味に思えるのかもしれない。


 読書に親しんできた人とそうでない人の間には、絶望的な溝が存在する。しかも、その溝は“読書派”の側だけが、一方的に感じている。ある程度時間をかけ、そこそこ中身のある対話をすれば、“ニュアンスの通じ具合”でその差異はわかる。


 読書習慣の有無──。ここで言っているのは、何冊読んだとか、どれだけ難解な本を読むのか、といった量や質の話ではない。ある程度以上の長さの文章で物事を考え、微妙な表現や“行間”から含意を読み取る能力のことだ。娯楽的な読書だけでも、それは得られるし、限られた冊数で十分な人もいる。ただ、おそらく外国語と同様に、年齢を重ねるに連れ、その習得は難しくなる。


 前都知事の猪瀬直樹氏がかつて、「人間は2種類。本を読む族と読まない族」とツイッターで呟き、炎上したことがある。「いったい何冊読んだら読書家と言えるのか」「読む本の質を論じなければ意味がない」「上から目線だ」等々の批判が殺到したわけだが、氏は「ここでとんちんかんなことを言っている人は読まない族」と一蹴した。思わず笑ってしまったが、実際そうなのだ。猪瀬氏の意見に反発する人は、意思疎通の障害を感じて来なかった人。同意する人は、何らかの形で氏と同じことを感じた経験を持つ人々なのである。


 この差異は、嗅覚の鋭敏さに置き換えてもいい。ある一定の口臭や体臭について、「耐えられない」という人もいれば、「何ともない」という人もいる。鈍感な人が「気にしすぎだ」といくら言い張っても、敏感な人には不快だし、どれだけ議論を交わしても、意見は一致しない。猪瀬氏の感覚は「鋭敏な人」にしか共有されないのだ。


 読書人口が減り、人々はネットへの依存を強めている。その変化にマイナスの側面を感じないホリエモン・タイプは「読まない族」である。獄中で1000冊の本を読んだという堀江氏だが、量の問題ではない。読書体験によってのみ得られる感覚を、今に至るまで得られなかったのだ。


 わざわざ金を払い、本や雑誌を読む人は、圧倒的に旧世代が多い。ネットでは得られない価値を感じているからだ。そちら側にいる人だけが、ネット情報の「欠落した部分」に気づいている。しかし、少なからぬ新世代は、それを理解しない。そうやって、紙の文化が終焉する中で、過去営々と積み上げられてきたある種の文化的価値が、ごっそりと失われようとしている。唯一の希望は、電子書籍がどれだけ、紙の本の味わいを引き継げるか、という点にかかっている。


 書物を中心に知性を形成した世代が死に絶えれば、やがて、この問題を嘆く声も消え去る。世の中から“鼻が利く人”がいなくなれば、どんなに悪臭の充満した社会になろうとも、何ら問題はないわけだ。


 現実にはどんな時代でも「本を読む族」はゼロにはなるまいが、このままでは間違いなく、希少な「少数部族」になる。消え去ってゆく世代としては何とも切ない話である。せめてもの無駄な足掻きとして、くたばるまで愚痴をこぼし続けたいと思う。 


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。