コロナ一色でテレビやネットが塗りつぶされる状態も、さすがにこう長期化してくると、げんなりする。とくにネットで日々ぶつかり合う意見の対立は、結局のところ、政権への批判か擁護かで二分され、医学的・経済的被害を最小化するテクニカルな論争とはほど遠く感じる。雑誌記事も同様で、例えば少なからぬ“右派論客”は相変わらず中国非難に夢中だが、この非常時に海の向こうへの“遠吠え”(事態の改善には1ミリも寄与しない)を最優先する人は、ただただ留飲を下げることしか頭にない「マニア」に見えてしまう。


 かく言う当方も医学的知識は何もなく、複数の専門家の意見が食い違えば、それを見てオロオロするばかり。いいかげんな言及は慎むべき立場だが、いよいよ「崩壊」の瀬戸際に立つ医療機関の惨状をニュースで見ていると、どうしても1点だけ、国家による包括的な医療機関バックアップ体制がないことが納得できずにいる。この2ヵ月、政府は何をしてきたのか。素人ながらそう感じるのだ。


 端的な例が、防護服やマスク、ゴーグルなど物資不足の問題だ。さまざまな現場から悲鳴が聞かれるが、医療機関ごとの必要数を政府が掌握し、あらゆる方策でこれを補充する供給網はできないのか。生産工場を何ヵ月で新設・稼働させられるかわからないが、突貫工事で実現できないか。コロナ制圧まで1年以上かかるなら、トライする価値はあるはずだ。そう思うと、この間の“失われた2ヵ月”が本当に惜しまれる。


 人工呼吸器の問題も同様だし、医療スタッフの配置や補充、限定的な医療補助員の短期育成、コロナ専門病院と一般病院の振り分け、そういった諸々の問題でも、全体を統括し最適配分をする“戦時体制的”なシステムは不要なのか。各地の病院がそれぞれに右往左往するさまを報道で見るたびに、そんな疑問が湧く。少なくとも非常時の枠組みとして、それがつくれるなら、各病院は経営上の心配を払拭できる。一時的にみな、準国営の機関にできるのだ。荒唐無稽な考えかもしれないが、イタリアや米国の惨状を見ていると、そんな思いがモヤモヤと湧くのである。


 今週の週刊文春、赤木俊夫さん自死問題の続報は『「上司は全員、異例の出世」 赤木さん妻に届いた「森友」内部告発文書』。あの財務省公文書改ざん問題で、当時の佐川局長以下、本省理財局幹部たちが出世したことはすでに知られるが、実は赤木さんのいた近畿財務局の5人の上司たちも、全員が事件後に「異例の出世」を果たしているという。今回は匿名の通報者から赤木さんの妻のもとに届いたその告発文を調べていく記事で、読んでいて胸を締め付けられる内容だ。


 5人の上司のひとり、「楠」という管財部長は事件の半年後、高卒職員として初めて総務部長に出世して、この3月、神戸信金に天下りしたという。この人物は赤木氏の自死のあと、探りを入れるかのように赤木夫人に接触した人物。彼女は意を決して、神戸信金前で彼を“直撃”した。悲痛な涙声の訴えに、楠氏も面会に渋々応じたが、「僕はもう辞めたから」「もう一切関係ない」と頑なに説明は拒絶したという。


 本省からの理不尽な要求に不本意にも屈したように言われていた近畿財務局。そんなイメージを覆す話であり、結局は赤木さん以外みな出先のレベルでも共犯者の側に回り、その「見返り」を得ていたのだ。罪悪感の欠如に呆れるが、おそらく当人らは「ムラ社会」の論理を妄信し、自己正当化の鎧をまとっているのだろう。「桜を見る会」や「検事の定年延長」問題でも、官僚らの口裏合わせは揺るがない。なかにはごく一部、赤木さんのように葛藤を抱える人もいるはずだが、多数派はこの楠氏のように感情を押し殺し、その“職務”を遂行しているのだろう。国の舵取りをする人たちの、どうにもやるせない現実である。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。