所用で木曜日に都心に出た友人が、地下鉄・永田町駅のホームが異様なほど閑散とした空間になっていて、キオスクに並ぶ新聞や雑誌は、申し訳程度の小部数だけだった、と話していた。こんな状況が2ヵ月、3ヵ月と長引けば、駅売りを主体とする夕刊紙や週刊誌は到底立ち行かない。ただえさえ“紙離れ”で経営難にあるところに、コロナ危機が深刻な打撃につながれば、メジャーな媒体でも店じまいに踏み切る社が出てくるに違いない。


 そんな状況下、サンデー毎日で2月に始まった新連載のコラム『2050年のメディア』に、今週は『アフター・コロナでメディアはどうなるか? すでに淘汰は始まっている』と題した論考が載った。執筆者の下山進氏は文藝春秋社で長らくノンフィクションの編集者をしてきた人物だ。


 記事によれば、目下、書籍の販売は3月前半に前年比112.7%と好調だったのに、後半には87.6%に急落。4月の緊急事態宣言後は、大都市の大型書店が数多く店を閉めたため、さらなる悪化が見込まれる。テレビの報道はコロナ禍の影響で各局とも3~4%の視聴率上昇がみられるが、それに見合う広告がなく、新聞でも広告収入が激減しているという。


 ネットの無料ニュースサイトでも、3月からPV数が倍増したものの、広告の量や単価が下がったため、収入増にはなっていない。ただし、海外に目を向ければ、米紙ニューヨークタイムスの有料版はこのところ、医療崩壊のスクープ記事などで日に日に読者を増やしているという。下山氏は結論として、“コロナ後”に生き残るメディアの勝ち組は、より深い取材力を持つ調査報道型のデジタル有料媒体になるだろうと予言する。


 一方で、今週の週刊ポストは読書欄の『著者に訊け』というコーナーで、小規模出版社「ミシマ社」の三島邦弘代表に、新刊『パルプ・ノンフィクション 出版社つぶれるかもしれない日記』について尋ねている。三島氏はもともとPHP研究所、NTT出版にいた編集者で、2006年、「一冊入魂」をモットーに書店と直接取引をするミシマ社を設立。少数精鋭のスタッフで良書の刊行を重ねてきた人物だ。バイタリティーあふれるそんな彼も、昨今の出版状況に、こんなタイトルの本を書くまでに追い込まれてしまっている。


 で、このインタビューによれば、三島氏らはこのような苦境を打開するために、今春から書店と版元の取引を効率化する「1冊!取引所」というプラットフォームを立ち上げるという。注文のやり取りを極力簡素化し、編集作業への注力を目指す試みで、前掲書には過去数年来、こうした取り組みを模索した経緯が描かれている。こだわりの商品を消費者に届ける試みは、実は他産業ではさまざまに進んでいて、三島氏もパン屋の経営者や日本酒の蔵元の先駆者から「学び」を重ねてきたという。


“コロナ後”の時代へのサバイバルは、確かに下山氏の言う通り、ネットへの移行が中心になるだろう。しかし、紙に固執する三島氏らはまた違った方策を模索する。個人的な趣味で言えば、現時点のネットには短い記事による「情報」の流通があるだけで、濃密な長文の「作品」は見当たらない。その部分の根本的解決がネットにないうちは、私は「紙の本」にこだわりたい。いずれにせよ、今後2~3年、遅くても数年の間には、出版・報道の世界に見たこともない風景が広がることになる。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。