周知の通り、雑誌にはそれぞれ発売日がある。本欄で中心的に取り上げている週刊誌の大手4誌では、週刊現代とポストが月曜日、文春と新潮が原則として木曜日発売だ。


 週刊誌の売上げは、ホットな話題を取り込めたか否かで、大きく違ってくる。原稿の締め切りはだいたい、発売日の2〜3日前だから、現代とポストは週末、文春・新潮は週明けの出来事を突っ込むのがギリギリのラインだ。


 もちろん各誌とも、人々の関心を集める出来事は、無理をしてもツッコミたい。ただ、この綱渡りが得てして、大チョンボにつながる。今週の週刊現代がそのパターンだった。大阪・寝屋川で中1のカップルが無残に殺された、あの事件である。


 除染作業員の容疑者が逮捕されたのは金曜日の夜。まさにタッチの差であった。現代は週明けの段階でも犯人はつかまらない前提で、あろうことか、犠牲者の男子生徒による犯行を臭わせる記事を『新聞・テレビが報じなかった大阪・寝屋川「中1惨殺」全真相』というタイトルで掲載してしまった。


 編集部サイドに代わって弁明しておくと、事件モノの取材で週刊誌は、新聞やテレビのいわゆる「記者クラブメディア」に比べ、相当なハンデを負っている。警察の捜査情報は、基本的に得られないからだ。


 現地に駆け付けた記者たちは、ひたすら周辺の聞き込みに靴をすり減らし、新聞やテレビの取材記者からも情報を得ようとする。やり方はどの雑誌も同じだ。今回の容疑者逮捕が水曜日だったら、似た記事が翌日発売の文春や新潮に出ていてもおかしくない。


 ほとんど情報がない段階で締め切りが迫ると、雑誌では入手した断片情報で何とかページを埋めようとする。実際、ひどい記事はいくらでもある。犯人の逮捕や真相解明まで、何ヵ月、あるいは何年というタイムラグがあれば、ほとんどの読者が初期報道のデタラメさを忘れ去ってくれる。ところが、今回のようなタッチの差になると、発売号を手にした読者全員が、「メチャクチャ書きやがって」と気づいてしまうのだ。


 現代の記事は、被害少年の素行や女子生徒との交際、家庭環境に至るまで、地元で聞き込んだ話を事細かに書き立てている。彼がもし、真犯人だったとしても、12歳の子どものプライバシーをここまで暴いてもいいのか、と議論になるレベルだ。


 それでももし、この記事の見立ての正しさが後日、証明されたなら、現代は自社の“スクープ”として自賛したはずだ。しかし実際には、この手の飛ばし記事は内容が仮に当たっても、それは「まぐれ」以外の何ものでもない。やはり、あまりにも際どい綱渡りは、避けるべきだろう。


 私自身、取材記者として締め切りの直前、わずか半日の現場取材で記事を埋めた経験があり、人のことはあまり言えないが、さすがに想像力だけで事件の“真相”を書くほどの厚かましさはなかった。


 もうひとつ、今週の現代は同じ号で『石破茂 ここで起たねば男が廃る』という自民党総裁選の記事も載せている。石破氏の不出馬決定は発売前の土曜日に報じられていて、これもまた、相当に間抜けな記事になってしまった。


 間抜け程度ならまだ笑い話だが、寝屋川事件ではそうはいかない。記事の本文中、さすがに少年を犯人と断じる表現は避けているものの、言い訳にはなるまい。タイトルで「全真相」ともうたっており、批判は免れない。誌面上、何らかのけじめはつけるべきだろう。 


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三山喬(みやまたかし)  1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。