今週の週刊文春で最もインパクトがあったのは『黒川処分で“裏切り”森法相が「もう辞めたい」』という記事だった。黒川弘務元検事長をめぐる一連の問題で、森大臣がうつろな目で覚束ない国会答弁を続けた光景は記憶に新しい。その表情・物腰には、追及を強引に跳ねのけるふてぶてしさよりも、自身の“道理のなさ”を十二分に承知したうえで、やむを得ず官僚の原稿を読む苦渋が滲んでいた。


 賭け麻雀の問題で黒川氏に「激甘訓告処分」が出た経緯を、森大臣は5月22日、「内閣と法務省が協議をし、最終的に内閣が判断した」と説明した。しかし、同じ日に安倍首相は「処分は検事総長の判断」とまるで違う答弁をし、森大臣も4日後には首相答弁に話を合わせる格好に追い込まれた。


 記事によれば、現実の処分決定プロセスで森大臣は終始“蚊帳の外だった”。事務次官以下一部法務官僚が官邸の杉田和博官房副長官らと意見をすり合わせ、「訓告」に留める方向性を決めたらしい。より重い懲戒処分となる「戒告」にすべきだと考えた森大臣の主張は、官僚や義家弘介副大臣、宮崎政久政務官らの抵抗で抑え込まれ、大臣は21日、進退伺を持ち安倍首相に「懲戒処分を」と直訴したが、聞き入れられなかったという。


 記事中に登場する「法務省関係者」は「(森大臣は賭け麻雀問題で黒川氏に)“裏切られた”と思ったでしょう。(安倍首相にも意見を退けられたため)失意のどん底に陥り、周囲に『もう辞めたい』と漏らした」と明かしている。また「政治部デスク」の証言者は「森氏が潔く辞めてしまっては、追及の矢が安倍首相にもろに向かってくる。(略)だから辞表などもってのほかで、安倍首相は当初、進退伺すら拒もうとした。6月17日の会期末まで森氏を野党のサンドバッグに置いておき、そのあとは内閣改造だ、というのが首相の腹積もりでした」と説明する。


 ここまで“内実”がダダ洩れになっていても、辻褄合わせを強いられる安倍一強下の“従者たち”。森友事件の佐川宣寿・元国税庁長官にせよ、今回の森法務大臣にせよ、どうしてぶち切れることもなく、唯々諾々と一身に汚名を背負うのか。その点が私にはどうにも腑に落ちない。それほどの「恩義」や「恩恵」を首相周辺に感じるのか。それともただ“裏切りの代償”が恐いだけなのか。安倍政権の8年は、こうした“人身御供”たちの累々たる人柱によって守られてきた気がする。


 関連して週刊現代には、『「さよなら安倍総理」霞が関のクーデター全内幕』という記事が載った。黒川氏の「訓告処分」について25日、共同通信が「複数の法務・検察関係者」の証言を得て「訓告処分を決めたのは官邸」と報じた。現代の記事ではこの共同電について、「官邸の安倍側近」が、「法務検察首脳部が(情報のリークで)官邸に弓を引いてきた」と受け止めていることを明かしている。


 現代記事はまた、首相肝いりの「アビガン」の問題で、共同が「明確な有効性が示されていない」という臨床研究のネガティブな状況を報じたこと、9月入学の学制改革が「時期尚早」と見送られたことなども、厚労省や文科省による“暴露と造反の連鎖”だと捉えている。政権末期ならではの現象と解説するわけだが、いかんせん取材が浅いため、新味のある「ファクト」が見当たらない。記事では“造反派”の最大の“爆弾”は、複数の省庁に残存する「桜を見る会」の名簿流出だと予告する。そこまで言うのなら、自分たちがぜひ、その現物をゲットする、そのくらいの気概で現代編集部も一線のスクープ合戦に参入してほしい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。