深夜に何気なくNHKのドキュメンタリーを見た。再放送の番組らしかったが、すさまじいインパクトがあった。『明日へつなげよう 証言記録「埋もれた声 25年の真実~災害時の性暴力~」』。阪神大震災や東日本大震災のさなか、避難所や仮設住宅でレイプなどの性犯罪が多発した、という話である。


 そもそもは四半世紀前、神戸の被災地で性暴力被害の訴えをキャッチした女性団体が、実情の把握や被害者救援に動こうとしたところ、複数の週刊誌がこれを「虚報」と決めつけてバッシング、訴えを封じ込めてしまった。しかし、東日本大震災の発生にあたっては、神戸での苦い体験を持つ女性団体や東北のグループが、今度は政府も巻き込んでスピーディーに相談窓口を設けたり、大掛かりな調査をしたりして、広範に発生した被害を掘り起こし、被害者のケアにも着手できたという。


 プライバシーの保たれない集団生活の渦中にいて、性暴力の被害者は表立ってなかなか声を上げられない。このため支援する側は配布する女性用の下着などに、相談電話のメモをこっそり忍ばせたり、人目につかぬようスーパーマーケットの一室に相談所を設けたり、さまざまに秘密保持の工夫をして、被害者と接触した。こうして発覚した事例には、あろうことか物資を分配する権限を持つ避難所のリーダーが、立場を悪用し関係を強要したケースまであったという。


 支援者の努力には頭が下がる思いだが、一部の人間が誇りたがる「日本人の民度」とはいったい何の話かと言いたくなるグロテスクな現実だ。“秩序立って助け合う美しい日本人”という虚飾のイメージを無理やりにでも掲げていたいのか、神戸での初期の告発を葬り去ろうとした週刊誌報道には、嫌悪感を禁じ得ない。今からでも当該記事の執筆者や編集長を直撃し、当時の悪辣なプロパガンダについて問い詰めたい。


 しかし、この手の「告発潰し」は今日でもさまざまなテーマで発生する。伊藤詩織さんへの誹謗中傷しかり、米国の黒人差別問題で人種的偏見を剥き出しに暴力警官を擁護してみたり、沖縄の辺野古問題で抗議者をテロリスト呼ばわりしてみたり、弱者叩きの傾向は随所に溢れている。当事者の訴えを否定する以上、徹底した事実調査をするかと思いきや、「そんなはずはない」という思い込みだけで嘘つき呼ばわりする。こうした「セカンドレイプ」的な情報発信者には、1次被害の加害者と同等の責任を問うべきように思う。


 今週はサンデー毎日に載った2つの記事が気になった。ひとつはジャーナリスト・浅川新介氏の『文政権も動かす 慰安婦団体の真実』、もうひとつは、毎日の専門編集委員・倉重篤郎氏の『拉致問題 安倍首相はいったい何をしてくれたのか!』という記事だ。


 後者の記事の中で、拉致被害者家族会の元事務局長・蓮池透氏は、当初、何の運動ノウハウも持たなかった家族会が「拉致被害者救出にかこつけて、北をつぶす」ことを目的化した「救う会」に取り込まれてしまった、と嘆いている。その結果、取り得る手段が狭まってしまったと。前者の報道では、韓国で慰安婦を抱え込んできた団体「正義連」(旧挺対協)が、日本と慰安婦当事者の間に立ちはだかり、90年代のアジア女性基金や2015年合意の「和解・癒し財団」基金の償い金受け渡しを妨げてきた流れが描かれている。


 朝鮮半島と日本、思想的な右左は真逆な出来事だが、この2ケースは問題当事者と相手国の間に、イデオロギー過多な“支援団体”が入り込むことで、問題解決をむしろ困難にしてしまう類似例に思える。韓国人にとっての慰安婦の女性たち、日本人にとっての拉致被害者、そんな「不可侵の人々」に対する政治利用に見えてしまうのだ。さかのぼれば、かつての左翼的市民運動にもその傾向は見られた。弱者に手を差し伸べたいならば、何事も「当事者の問題解決」のみに専心し、政治利用は避けるべきだろう。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。