その昔、『宝島30』という総合月刊誌が存在した。1990年代にわずか3年しか続かなかった雑誌だが、たぶん、そのほとんどの号に私は目を通した。雑誌名にある「30」は「30代向け」という意味で、まさしくその年齢層だった私の波長に合う雑誌だったのだ。朝日・岩波的教養主義を批判的に見る保守雑誌のスタンスだが、年長者向けの『諸君』『正論』に著しい“右翼臭”はなく、右でも左でも紋切り型の物言いに噛みついては、諫めたり茶化したりするサブカル系若手筆者がひしめく雑誌だった。


 冷戦崩壊後、イデオロギー過多な言論は衰退し、個々の事象、テーマごとにリアルな議論が交わされる時代になるだろう。当時のそんな期待はしかし、空しく裏切られた。『宝島30』の編集者だった町山智浩氏、あるいは常連執筆者だった小田嶋隆氏などの面々は、今なお映画評論やコラムで活躍する一線の書き手だが、あれほどに「ノン・イデオロギー」と見られていた彼らでさえ、今日では「パヨク」(ネトウヨによる左翼の蔑称)と呼ばれるほど、思想状況は右にシフトしてしまった。言ってみれば、かつての自民党を2つに割ったなら“右翼でないほうの半分”が、もはやサヨク呼ばわりされる時代なのだ。


 で、この『宝島30』出身の文筆家に、かつて編集長の立場にいた橘玲という人物がいる。町山氏や小田嶋氏とほぼ同じ還暦前後にいる世代(ちなみに筆者も同世代)だが、橘氏の立ち位置は彼らよりも「右寄り」に見え、その文体には“冷笑系”の匂いも漂って感じられ、正直、好きなタイプの物書きではなかった。ただ、今週の文春とポスト両方に載った氏の記事をたまたま読み、そういった先入観が少し和らいだ。もしかしたら氏は、かつての『宝島30』同様、真の意味で「右左」の枠を越え、思い切った視点から世界を捉えようとする希少な論者ではないか、そんな印象がよぎったのだ。


 文春に載ったのは、氏の近著『女と男 なぜわかりあえないのか!』の告知を兼ねたインタビュー記事。『コロナ後の「女と男」 日本で「家族解体」がなぜ進むのか』というタイトルが付されていた。議論の大前提として、橘氏は現代社会を「リベラル化」の世界的大潮流のさなかにある、と認識する。「リベラル」と言っても、政治的な用法ではない。もっと普遍的な現象、血縁関係や共同体、宗教などのくびきから解き放たれた人々による「個人主義の広がり」という世界規模の流れを意味している。日本国内の変化で見るならば、家制度やムラ社会、終身雇用を前提とした家族主義的なサラリーマン人生等々が過去の遺物となり、消え去った現状を指す。もはや現代人の多くに帰属する単位集団はなく、自由に、そしてよるべなく生きる時代になっている。


 そのうえで橘氏は、米国のトランプ現象をはじめ、世界規模で起きているナショナリズムへの反動は、この「人々の砂粒化」とも言える潮流への不安や恐怖の表出に過ぎないと分析する。考えてみれば、日本で見られる右傾化現象も、家族制度もコミュニティーも激変したなかで、“戦前回帰”などできようはずもないことは明らかだ。変化にうろたえる人々の「焼け石に水の抵抗」という氏の認識には、説得力がある。


 文春に載った氏の論考は、こうした新時代にもたらされる男女関係の大転換、一夫一婦制の動揺をも睨んだ近未来予測である。もうひとつのポストの記事、『小池百合子はなぜ男からも女からも嫌われるのに“女帝”なのか?』という特集内の原稿でも、氏は主に男女の力関係の変化を論じている。ただ私は、両記事を読んでみて、それらの主題にも増して、立論の大前提、「リベラル化(個人主義化)の大潮流」という部分に引き込まれた。目下の世界的キーワード「対立と分断」が、氏の分析では、過渡期の些事になるからだ。過去“食わず嫌い”で避けてきた氏の文筆活動を、今後は少し気をつけて読むようにしたい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。