歯医者に行く場面を想像してほしい。たいていの人は、「いきなり歯が痛み出した」「歯がぐらつき出した」など、何らかのトラブルが発生したときだろう。結局、歯医者を選ぶときは、「職場の近所で、同僚が通っていた」とか「地元で評判のよい歯医者さん」といった理由で決めているケースが多いはずだ。
『歯科医さんのかかり方』は、そんな多数派の人から、日ごろから歯のメンテナンスに気を使い、定期的に歯医者に通っているという人まで、あらためて歯科医(院)選びを考えるのに有用な1冊である。
著者は200人以上の歯科医を取材してきた、ジャーナリスト。取材や自らの通院を通して見えてきた、歯のメンテナンスと歯科医選びのヒントをコンパクト、かつ時にマニアックにまとめている。
歯科医に限った話ではないのだが、〈必ずしも最新の知識で治療している歯科医ばかりではない〉。歯科医の世界も医師や教員免許などと一緒で、更新制度がないからだ。
しかし、歯の治療の世界はどんどん進化している。本書で、新しい治療を知っておくことは、歯科医の良し悪しを見極めるうえで、役に立つはず。例えば、軽度の虫歯なら、今は削らず丁寧なメンテナンスで、歯の「再石灰化」を促すのがスタンダード。軽度の虫歯をガンガン削ろうとしたら、昔の治療だ(今にして思えば、子どもの頃にあんなに歯を削らなくてもよかった、と思わざるを得ない)。
「コンビニより多い」と言われて久しい歯科医の世界。多くは〈諸事情を飲み込んだ上で、望ましい治療と経営のバランスを取りながら、保健医療の中で成功率を上げるべく努力をしている〉。本来だったらやったほうがいい治療も省略されるケースがある。時間がかかる割に儲からない治療だ。
通っている歯科医を思い出しみると、本書に〈欠かせない〉と記されていた、歯の根を治療するときに使用する「ラバーダム」(ゴム状のシートで歯だけを露出させる器具。細菌を含んだ唾液が治療している歯にかかることや、薬剤が体に入るのを防ぐ)や、きちんと治療する際に必要な顕微鏡を、かかりつけの歯科医が使っていた記憶がない。ここに通っていて大丈夫なのか? 少し心配になった。
■健康な歯を15本抜いた“入れ歯の鬼”
本書には、正しい歯磨きや歯周病のリスク、インプラントなど、歯をめぐる諸々のテーマについてきちんと書かれているが、秀逸なのは「入れ歯」に1章を割いていることだ(歯科医が書いている一般書では、専門外の人が多いのか、省略されているものも多い)。
歯科技工士があいまいな注文から入れ歯を作る様子はまさに“職人芸”。にもかかわらず、約12万人の歯科技工士のうち、〈実際に働いているのは3割に過ぎません〉〈働く人のほぼ半数は50歳以上〉と、割に合わない仕事のようだ。建築の現場同様に、歯科技工士の世界でも、高齢化が起こっていそうだ。腕のいい職人が少なくならなければよいのだが……。
驚かされたのが“入れ歯の鬼”こと、総入れ歯に強い歯科医の村岡秀明氏。〈入れ歯づくりの研究のために、65歳の時から自分の健康な歯を抜き始め、7年間で15本も抜いてしまった〉という。昔、映画、『楢山節考』で歯を削った坂本スミ子を思い出した。
「歯を失ったらインプラントかなぁ」と漫然と考えていたが、入れ歯に精通した歯科医や職人肌の歯科技工士が〈入っている気がしない入れ歯〉を作ってくれるのなら、入れ歯も悪くない選択しかもしれない。
むし歯、歯周病、矯正、インプラント……、さまざまな治療が存在するだけに歯科医にも得手不得手や専門分野が存在する。しかし、〈日本歯科医学会に加盟する団体だけで43学会あって、そのうち専門医制度を設けているのが37学会〉もある一方で、〈認定基準がまちまちなので、専門医資格の有無と技術が必ずしも一致しないと言われて〉いる。
この状況が大きく変わる可能が出てきた。日本歯科医師会などが「日本歯科専門医機構」を立ち上げたからだ。コロナ禍で進捗が遅れる部分もあるだろうが、〈標準的な診療を行うことができる歯科医を専門分野ごとに認定して、国民が受診先を選ぶ時の指標〉にできる新しい専門医制度となりそうである。
とかく専門家がつくる仕組みは一般人にとって難解なものになりがちだ。わかりやすい制度となるよう期待したい。(鎌)
<書籍データ>
渡辺勝敏著(中公新書ラクレ840円+税)