人気俳優の三浦春馬さんが先週末、30歳の若さで命を絶ち、今週前半の芸能報道はそれ一色、沈痛な空気に包まれた。著名人の自死と言えば、約2ヵ月前に22歳の女子プロレスラー・木村花さんが、恋愛リアリティー番組でのふるまいを叩かれて世を去ったばかり。今回は、先のケースほどはっきりした背景は見当たらない様子だが、繊細で誠実な人柄が広く愛された役者だけに、「自殺背景の無神経な詮索はすべきでない」と、報道やネット書き込みに釘をさす空気が目下、世間を覆っている。
というわけで、今春は文春も新潮も、踏み込んだ決めつけはなるべく避け、ある程度気を遣ったトーンで記事をつくった感じがする。タイトルは文春が『三浦春馬自殺「密着母」と「自己批判」』、新潮が『「三浦春馬」酒とバラの「遺書」』。幼くして実父と生き別れ、母親の再婚、離婚で複雑な育ち方をした彼の生い立ちから、両誌とも母子関係を基軸に記事をまとめている。春馬さんを幼少期に子役デビューさせ、のちに彼の個人事務所の代表にもなった母親の存在に焦点を当てたのだ。
文春記事は母子関係以外にも、春馬さん個人のストイックすぎる性格、時として自身の仕事ぶりに落胆、落ち込んでしまうようなエピソードにも触れているが、新潮の記事にそういった“間口の広さ”はない。『「継父」はホスト!』『ステージママの金銭感覚がスター人生を狂わせた』『「アルコール依存」は3年前の一家離散』『断絶の母に訴えた「死にたい」思い』。メインタイトルの下に4項目並べたサブタイトルでわかるように、記事本文での断定は避けながらも、全体として「家族関係をめぐる苦悩」という方向に読者を誘導する記事の作りになっている。
ファンは腹立たしく思うに違いないが、記事の行間でチクチクとほのめかす取材対象への“悪意”こそ、創刊以来60年以上、新潮が保ち続けてきた「持ち味」にほかならない。たまたまサンデー毎日では先月来、新潮出身のノンフィクション作家・森功氏が、昭和期に同誌を創刊し、「天皇」と呼ばれた名物編集者の生涯を『鬼才 齋藤十一』という連載で描いていて、今週号が最終回だった。
お前ら、人殺しの顔を見たくないのか──。齋藤十一に関しては、写真誌『フォーカス』を創刊したときのそんなセリフが語り継がれている。もっともらしい報道の大義名分などどうでもいい、自分たちは俗っぽい覗き見主義で雑誌を作る、それで何が悪いのか。そんな開き直りを示す言葉として知られるが、森氏によれば、当時の編集部員はこの言葉を記憶せず、「齋藤さんはそんな下品な表現はしない」と否定的だという。
だとしても、新潮やフォーカスの編集方針に、この手の“悪意”が滲んでいたことは昔から変わりない。森氏の記事によれば、新潮の基礎を初期に固めた人物は、主要記事のアンカーを務めた草柳大蔵と井上光晴の2人だという。とくに、前衛作家だった井上は、取材コメントをつなぎ合わせる独特の記事スタイルをつくり出し、地の文で堅実に書く草柳の文体より、井上流の書き方が新潮の「伝統」として定着したらしい。
この“井上スタイル”に、しかし私は抵抗がある。三浦春馬さんの記事にも「金銭感覚がルーズ」と、母親を批判する周囲の談話がある。どんな文脈で出てきたコメントか、正確なニュアンスはわからない。それでも記事全体の流れから、読む側の大半は、この情報を春馬さんの自死と結び付ける。記者自身が地の文で明言しなくても、読む側が勝手にそう受け取るのだ。結局のところ、この手の文体は、そういう責任逃れの文章技術にしか私には映らない。ネチネチした“悪意”はもう、ネットの世界でたくさんだ。新潮もそろそろ文体のモデルチェンジを考えてはどうか。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。