リアリティー番組の演出に悲憤慷慨し、出演者を自殺にまで追い込んでしまう攻撃的ネット世論。盛り場の店の動向や車のナンバーをチェックしては「いけにえ」を選定し襲い掛かる「自粛警察」の群れ。昨今の日本には、そんな“ムラ社会的陰湿さ”が溢れかえっている。世相の荒廃は、週刊誌の各種コラムにも影を落とす。普段はユーモラスな身辺雑記コラムでも、ふと気づけば行間から筆者の苛立ちが透けて見える。


 作家の林真理子氏は、今週の週刊文春コラム『夜ふけのなわとび』で、“背筋がざわっとするワイドショー出演者”への嫌悪感を綴っている。文中の表記は匿名だが、読めばすぐ誰のことかわかる。「セクハラ問題を起こした某出版社のカリスマ編集者」であったり、「2チャンネルの元管理人」が出てきたり。林氏は《こういう人が表に出てくるのは間違っている。(他者を非難・攻撃し)人の心の暗黒を集める仕事を始めたんだったら、一生陽のあたる場所に出てくるべきではない》と、激しく彼らを叩いている。


 もうひとり“『噂の真相』の元編集者の肩書きを持つ女性ライター”にも話は及んでいる。これら3人への嫌悪が、純粋な「視聴者目線」による思いなのか、それとも彼女自身、何らかの“私憤”を持つ相手なのか。文章からはよくわからないが、コラムの後半に「小さな出版社の雑誌の副編集長」と直接やり合った場面も登場し、もしかするとこの相手は前述した(元『噂の真相』の)女性ライターと同一にも思われる(だとすれば、少なくともこの女性は「因縁の相手」ということになる)。


 林氏の記述内容はやがて、ネット上の匿名書き込みにも及ぶ。そして《(その手の相手には)ぜひお会いして、どうして一冊も(自分の本を)読んでくださらないのか、それなのになぜ私のことを気にしてネットに書き続けるのか、一度聞いてみたい》という。林氏はリアル社会にもネットの世界でも、一部の人間から「悪意の標的」となり続け、そのストレスを相当にため込んでいるように見える。


 同じ号でミュージシャンの桑田佳祐氏は、『ポップス歌手の耐えられない軽さ』という自身のコラム欄に『日本じゃ何でも「道」になる』という一文を書いている。ミュージシャンの先輩やプロレス界のエピソードに触れ、“先人を敬わねばならぬ空気・不文律”“「徒弟制度」「封建制度」っぽい空気”が存在することをしばらく淡々と綴ったあと、あるときテレビを視聴中、《『ヴァラエティ番組を舐めるな‼』みたいな話があって、アタシは何だか妙に違和感を覚えた》《なんだかそこに「群れる」というか、特有の「村社会への同調」が見えた途端、シラけた》と明かした。この手の空気感を実はとても苦手としているのだと。


 桑田氏としては珍しく、さらに踏み込んで批判を重ねている。《昨今、アタシを含めて、タレント風情がネットやマスコミに叩かれる。ヘタこいたり不倫したりして……。昔から、叩く方はあくまでもそれが「良識」らしいから、もうしょうがない(略)だけど、知りもしない奴らから、むやみやたら「人の道」を諭されたり説いたりされてもなぁ……》


 検察庁法ツイッターデモの際の芸能人バッシングやアメリカのBLM運動、女子プロレスラー木村花さんの自死をめぐる問題など、人々は今回の自粛生活のなか、改めてこの国の「ムラ社会」を痛感しつつある。林氏のコラムにも桑田氏の文章にも、こうした息苦しさに対する怒りがある。一方で、このところ一部の著名人の間では、ネットの誹謗中傷に法的措置をとる動きも出てきている。法改正に向けた政治的な動きもある。歓迎すべき流れである。匿名の誹謗中傷集団から一人ひとり、実名の世界に引きずり出し、発言の責任をきちんと追及する。そんな「ムラ社会の解体」につながる兆候なら、目下の嫌な雰囲気も有意義な試練に思えてくる。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。