このサイトの読者の方には“言わずもがな”かもしれないが、医療は極めて保守的な世界だ。新しい医療機器の導入や新規メーカーの参入等々、変化や進化には拒絶反応がつきものである。
『治療では 遅すぎる。』は、最先端の医療技術に加えて、IT技術や、ライフスタイルの変化を考慮した「新しい医療」を提言するものである。
従来の医療が〈病(Disease)を中心とした実践体系から、新しい医療では、人間らしさ(ヒューマニティ:Humanity)を中心基軸に据え〉る。著者が〈ストリート・メディカル〉と定義するこの考え方は、東京慈恵会医科大学創設者の高木兼寛氏が掲げた理念「病気を診ずして病人を診よ」にも通じる〈古くて新しい〉概念である。
病気の患者を治療する医療から、日ごろの暮らしまで踏み込み〈人間らしい生活を送ることを目的とした実践が医療のコア〉となる。現代的なのは、民間企業や、メディアやアート、AI・テクノロージーとの共創が想定されていること。また、病院やクリニックといった医療機関だけでなく、家庭や学校・職場といった生活の場やコミュニティを含めた施策設計である。
第3章から第4章では、クリエイターや企業ほか、医療従事者以外にも多様な人材・組織が加わって実現したソリューション紹介されている。
ストリート・メディカルの具体的な取り組みは極めて実践的だ。アルゼンチンで実施された減塩キャンペーンでは、紫、緑、青などカラフルに着色された塩が減塩につながり成果をあげたという(確かに気持ち悪そうだ)。VR(バーチャル・リアリティ)ゲームで痛みを軽減し、鎮痛剤の使用を減らした事例もある。
下腹部のサイズが85cmを超えると色が変わる下着(体型を可視化してメタボを予防)、経済ニュースや4コマ漫画などのコンテンツを表示することで上りたい気にさせる階段など、従来の医療の枠組みを超える取り組みも、新しい医療の世界だ。
■簡単ではない新しい医療の社会実装
第5章では、新しい医療を進めるうえでの問題意識や課題感が、医者である著者とクリエイターとの対談形式で語られる。
かねて問題視されてきた、医者と患者のコミュニケーションは、新しい医療でも重要な課題となりそうだ。1分診療にならざるを得ないほど、多忙を極める医者もいる。
医者としても、〈もう少しライトなコミュニケーションが必要なのですが、(中略)正しく、論理的な根拠があるかというところをきっちりと教育されているところがあるので、難しい〉という現実もある。
本書で提言されているように、コミュニケーションを円滑にするには、コメディカルなどを含めたチームや医学生といった人たちが〈トランスレーター〉となる仕組みの構築は不可欠だろう。第一線を退いた医師などが頼りになる部分もあるかもしれない。
ただし、医療関係者以外も含む、多種多様な関係者が集う、新しい医療の社会実装は簡単ではなさそうだ。
〈医療の世界では本当に新しいことをやろうとすると、自分達がやっている、自分が主語なんだという捉え方にならないとダメ〉。一方で、企業の側は〈大学病院や医学部の「お墨付き」をもらいたいとか、ここで医者と組むことによって新しい知見が生まれるかもしれない〉という期待がある。多様な参加者の利害関係や思惑が錯綜するなかで、〈一番大事なのは、ちゃんとマネタイズできる人〉だ。
ここ数年、医療系ベンチャーのなかに、医師免許を持つコンサルティング会社出身のトップが出てきたが、医療とビジネスの双方を理解し、調整できるビジネスプロデューサー的な人材は極めてまれだ。
しかし、光明はある。急激な変化を嫌うという意味では、世界の医療関係者も同じだが、コロナ禍の米国では、ゼネラルモータースが医療機器の生産を行うことになった。日本でも、オンライン診療の規制が一部緩和された。コロナ禍が柔軟に医療を考える契機になり、過度な規制にメスが入れば、新しい医療を手掛けたいという人材が医療の世界に続々と登場してくるかもしれない。(鎌)
<書籍データ>
武部貴則著(日経BP、日本経済新聞出版本部1800円+税)