震災4周年に当たって、新潮に『1億5000万円貰った世帯もごろごろ!「原発補償金」ジャブジャブの日常的荒廃』という記事が載った。原発事故で避難生活を送る福島県双葉郡の被災者に対し、その“優雅な避難生活”を強調して批判する内容だ。新潮には、以前にも似た趣旨の記事が掲載されている。 


 このテーマに関しては、人並み以上に苦い思いが湧く。私は震災以後、双葉郡大熊町の被災者を約3年間訪ね歩き、昨秋、その声を『さまよえる町〜フクシマ被災者の「心の声」を追って』という本にまとめた。その中では、補償金をめぐって被災者とそれ以外の福島県民に軋轢があることを取り上げたし、一部被災者にろくに職探しもせず、補償金でパチンコ三昧の暮らしをする人がいることにも触れた。だが、そのことで双葉郡すべての被災者が白眼視され、日々中傷を浴び、苦しんでいる現状を、新潮はいったいどう捉えるのか。 


 避難先での子供へのいじめは日常茶飯事だし、転居の挨拶で菓子折りを近所に配ろうとして断られた話も聞く。所有する車に傷をつけられたり、ペンキを塗られたりという嫌がらせもあれば、駐車場を借りようと地主と交渉して、「あんたなら払えるだろ」と、相場の10倍以上の料金を吹っ掛けられた被災者もいる。 


 前述した本の出版直後には、版元にいわき市民からのクレームが寄せられた。被災者と市民との摩擦が最も激しい街である。「なんであんな奴らを持ち上げるのか。自分の周辺に双葉郡の連中を好む人間などひとりもいない」と、電話の主は憤っていたという。きちんと読んでもらえれば、決して彼らを持ち上げてなどいないし、摩擦のタネに関しても書いてあることがわかるはずなのだが……。 


 もし仮に、あの事故の時、北風が吹き、いわき市がまるまる帰還困難区域になっていたら、どうだっただろう。中通りあたりに大挙して避難したいわき市の被災者には、パチンコ屋にたむろする不届き者などひとりも現れず、補償金についても「もらい過ぎだ」と半額ぐらいは返金していただろうか。高潔な人ばかり集まる街であれば、そうなのかもしれない。 


 考えてみてほしい。補償の水準や査定方法に問題があるとして、それはいったい誰の責任か。見直しは、被災者を叩く言い方で論じなければならないものなのか。そもそも、月額10万円という「精神的慰謝料」を除いて、それ以外の補償は失われた資産や所得によって決まるものだ。1億5000万円の資産を失えば、1億5000万円の補償は当然の額になる。「原発の町」大熊の場合、住民の所得は震災まで福島県内で第1位だったのである。 


 同じ被災者でも、借家住まいだったり、まるまるローンが残る家に住んだりしていれば、財産の補償はない。いずれにせよ、原発の町の住民が裕福だったことを叩きたいのなら、札束で原発を引き受けさせてきた政府や東電のやり方をこそ、批判すべきではないのか。 


 家屋や土地、仕事を失って得た高額の補償で、遊びまくる人がいるとしても、その愚かしさの報いは本人に返ってゆくだけのことだ。補償の算定方法に見直しが必要なら、具体的に問題点を指摘すればいい。 


 羽振りがよく見える人々を悪しざまに罵倒することに、いったいどれほどの意味があるのだろう。田園調布がもし企業責任で帰還困難となったら、住民は避難先で袋叩きに合わなければならないのだろうか。 


 こうした“黒い感情”は、ただでさえネットに溢れかえっている。先週の少年事件容疑者の実名報道でも感じたが、自分たちはゲリラ的存在(昭和期に使われた決まり文句)だ、と開き直り、卑俗な憎悪や嫉妬心を煽り立てる“書き逃げ商法”はそろそろ、見直されていい。 


 人々の憎しみを煽るなら、その結果引き起こされる出来事の責任も、メディアとして当然問われるべきである。自分たちは例外だ、稼げればあとのことは知らない、という論法は認めがたい。週刊誌も、責任の自覚を持つべき時に来ていると思う。 


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。